人生はビギナーズを観て
 

マイク・ミルズの「人生はビギナーズ」、映画館で見逃してDVDで。
明るいアメリカ映画なのだと思って前半観ていて、その割に淡々としかストーリーが進まないのでこれは駄作かと思いきや、実は「ツリー・オブ・ライフ」のように、主人公の心の移ろいを丁寧に映し出している映画であることに気づいて、そこから感情移入して、最後には深く感動してしまった。
映画の中では心情を表すところでピアノが静かに流れていて、この効果が素晴らしい。
写真、絵などの挿入もとてもきいている。

主人公の喪失感と孤独感はかなり強くて、30代の後半になって家族もいて満ち足りているといっても過言でない今の僕には、その感情をすんなり思い出せなかった。多分、この映画、20代の後半に観ていたら、自分への問いかけの映画になっていたかもしれない。
人との関係がうまくいかないようにしか、ふるまえない、という悲観的な主人公の性格は、すべて子どものときからの、孤独だけど気丈夫な母親との友人のような関係の中で成り立っているものだ。

なんとも傷つきやすい繊細な主人公の心模様なのだが、だからこそ、人の心の機微がわかるのだと思う。人に心がわからなかったら、周りに対して優しくあることはできない。だから、僕はある時点でビギナーであることも大事なんだと思うよ。

| 映画| 00:15 | comments(0) | trackbacks(0) |

ある金曜日の夜に
今日は仕事も早く終わって、妻と1歳の娘(そう、1年前に娘を授かったのです)も帰省中ということで、新宿に出て映画を観ました。
「アイアンスカイ」という映画だったのだけど、正直期待外れだったかな。突拍子もないSFなんだけど、アメリカを自嘲したような映画のつくりで、ブッシュが嫌いで正義を笠にするアメリカのあり方を自問しているアメリカ人おたくだったら楽しめたと思う。
ちょっとがっかりしたわけだけど、そのあと、山の手線から眺めた渋谷や原宿あたりの街並みを眺めていたら、それが既にSFで、自分が過去からタイムマシンに乗ってきた人みたいに思えた。(あるいは、タイムマシンに乗ってきて、さっきこれまでの記憶を植えつけられたばかりなのかもしれない。)

それから五反田でご飯を食べて帰ってきた。五反田というのは、なかなか不思議な町だ。猥雑で怪しさがあるのだけれど、飲食店が多く、まぁ、人の欲望や裏面というものが表出している。
僕が住んでいる町はそこから地下鉄で一駅で、猥雑さは消えて庶民的な町だ。
コインランドリーとクリーニング店が多く、焼き鳥、コロッケ、焼肉屋の類が軒を並べている。その前に住んでいた吉祥寺界隈にあったフレンチだとかイタリアンとかカフェとかバーとか気のきいた居酒屋といったオシャレなものはここにはない。
僕は引っ越したばかりのとき、余りの違いに驚いたけれども(少し落胆もしたけれども)、まぁ結局乳児を持っている親ともなれば、どのみち、オシャレな外食なんかほとんどしないものだ。

既に長々と書いているが本題はこれから。
22時になって、家から辺りをランニング。
適当な方角に走っていくと、僕が通勤のときに通り過ぎる駅なんかに出る。そうやってこれまで点でしかなかった町が、線として繋がっていく。
そして、今日僕が不思議に思ったのは、どこまで走っていても、そこに人の暮らしがあるということ。
庶民的な居酒屋があって、誰かが飲んでいて、誰かが夕食を食べていて、誰かがカウンターで頬杖をつきながら本など開いている。そうしたものの繰り返し。
僕はひとりしかいないけれど、世界にはたくさんの人がいて、そう、僕が走って回れる範囲だけでも、たくさんの人たちが暮らしている。

僕の人生は限られていて、多分人生の半分くらいまでやってきていて、もはやそうした人たちと全て交わったりすることもないことを僕は知っている。
僕の命は限られていて、世界をすべて見ることはできないし、世界のすべての人と話すことはできない。
ただ、途方もない世界の広さ。
そういうのって、ちょっと切ない。

あるいは、もしかしたら僕はさっき過去からやってきて、この記憶を植えつけられたに過ぎないかもしれないけれど・・・。


今夜はひとりだから、ひとりでゆっくり考えている。

| 日々の泡| 00:32 | comments(0) | trackbacks(1) |

m11019「絶望の国の幸福な若者たち」 社会全体としては問題あるが本人たちは幸せ ★★
m11019「絶望の国の幸福な若者たち」 古市憲寿 講談社★★

20代でこれだけの書籍を出す方なので、さすがに内容は興味深く読ませる。但し、先行する論説を年齢や地位など無視してバサバサ切り捨てていくのは凄いのだけど、それと裏腹に自己愛の強さや冷めた態度が透けて見えてしまって、多分そこが反感を買うだろうなとも思う。

内容は、極めて困難な社会状況の中にあっても、若者は幸せに暮らしているのだという事実を突き付け、その理由が‐来それ以上に好転しないことを若者が悟っていること(将来が今より良くなる可能性があれば現状に満足することはない)、同じような仲間と繋がって自分が承認されていることで、その「島宇宙」でよしとしてしまっていること、という仮説を立てている。

また、著者がピースボートでの経験から引き出した自説として、島宇宙たる共同体に安住できることで、目的性が失われるということも書いている。

いずれもなるほどと思うのだけど、この状況が厄介なのは、幸福感の中にいる人を変えるのは難しいということだ。社会の動きを感知しないで生きていく人が多くなるのは、社会が変わっていく原動力が失われてしまうために問題が多いのだけれど、幸福感の中にいる人を引っ張り出すのはとても難しいような気もする。そもそも、若者以外が若者を批判するのはお門違いで将来に希望がもてない今の状況を創りだした先行世代にこそ問題があるのかもしれない。(それで今の若者は・・・とご託を並べられては若者も可哀そうかもしれない。)

自分は仕事で先日、大学の社会学の先生とお話したのだけれど、先生も同じことを危惧されていた。閉塞した自分の世界の中で満足して社会とのつながりをもとうとしない学生が多いことに。先生は学生のうちから社会とのつながりを意識することが大事なのだとおっしゃっていた。
(12月中にJRの中央線や埼京線等にポスターとして掲出しているので読んでみてください。)
| 読書(その他)| 22:41 | comments(0) | trackbacks(0) |

最近読んだ本のメモ
m11014「斜陽」太宰治
時代の変化の中で没落していく貴族を描いた作品。
時代の中での代々守ってきた家柄が崩れていって、自己の意味を模索して悩んでいるのは、太宰治その人の悩みなんでしょうね。

m11015「明日の広告」佐藤尚之 アスキー新書 ★★

m11016「明日のコミュニケーション」佐藤尚之 アスキー新書 ★★★

m11017「実存と構造」三田誠広 集英社新書 ★★★
 絶対的な権力がなくなって自由が与えられて、さてどう生きるか考えたところで実存という考え方が出てきた。カミュやカフカはそこから文学を展開していった。一方で構造主義は実存主義における個々人の生き方の模索も実は歴史上では伝説や神話の形をとりながら繰り返されているものであり、そうしたパターンを捉えて生き方を考えていけば、個人の悩みだって脱却できるはずだよという考え方のようだ。
 三田先生の文章はとてもわかりやすいので、とってもお薦めです。実存と構造からカミュ、カフカ、フォークナー、中上健次、大江健三郎らの文学作品を座標に落としてくださるので、文学の読み方に新たな視点をいただけます。

m11018「日本は世界5位の農業大国」浅川芳裕 講談社+α新書 ★★★
 日本が農政上、唱えている食料自給率は、農水省の省益を守るためのものであって、日本の農業の足を引っ張っているものでしかないということを看破している。読んでわかるのは、日本の農業には国としての戦略がなく、政治家は票集め、農水省は省益(省の仕事をつくって天下り先を確保すること)が自己目的化してしまっているということ。
そして、生産性を高めている専業農家を後押しする政策をとらずに、兼業農家や年金農家といった人たちに金をばらまくという全く意味のないことを行っているという。
問題とされている耕作放棄地についても、生産性の向上に伴って、農業を行ううえで非効率な土地が放棄されているだけの問題であって、減反政策を掲げながら、耕作放棄地を再生することに予算をつぎ込むのは自己矛盾化していておかしいとする。(なるほど)
一方で、国家戦略がないだけで、日本の農業は世界で競争していけるのだと浅川氏は主張する。そうやって考えると、TPPは日本の農業に競争を生み出すことができてよいのかもしれない。

| 読書(その他)| 21:07 | comments(0) | trackbacks(0) |

m11016「ツリー・オブ・ライフ」 今、この瞬間を生きている奇跡
 テレンス・マリックの「ツリー・オブ・ライフ」を観てきました。
人がこの世に生を受けて生きるということは、愛情や嫉妬、思いやり、反発・・・の集積によるものなのだということを、感覚で捉えさせようとしている映画でした。
写真展で写真を眺めているのに近い映像体験です。美しい映像のなかに身をゆだねているうちに、それが主人公が生まれてからの心の揺れ動きを体験していることに気づかされます。母親への愛情の深さには、とても感動しました。

映画館を出た後、自分の感覚がまったく変わってしまったことに気づきました。今この一瞬を生きていることが奇跡のように思いました。
僕にとっては、今年No.1の映画になりそうです。
| 映画| 08:21 | comments(0) | trackbacks(0) |

b11013「官僚の責任」 国家や国民ではなく、省のことを優先する人たち
 原発の問題で、経産省、保安院、東電の所謂「原子力ムラ」の癒着が根底にあるのを知ったわけだが、なぜ、日本の頭脳のトップクラスである官僚が、このような事態に陥ってもなお機能不全に陥っているのか知りたいと思って、この本を手に取った。

筆者の古賀さんは、経産省改革派の官僚で、全く歯に衣着せぬ主張を展開する(おかげで、6月に解雇になったそうだ・・)。
株式会社ならば会社の利益のために奮闘するわけだが、国家公務員も省益のために奮闘していることが明かされる。省益(天下り先確保、自己保身含む)が確保されれば、国民や国家に不利益になっても気にしないというところに大きな問題があるようだ。
そのため「霞が関は人材の墓場である」と古賀さんは喝破する。官僚が省のことだけしか考えない視野狭窄に陥ってしまうために、日本は停滞を余儀なくされている。

そのための仕組みそのものを変える改善策(国民利益に立った人事評価の導入、プロジェクトでの若手育成、給与の右肩上がり抑制等)を古賀さんは並べているのだけれど、惜しいかな、それは省益とは逆のようで解雇されてしまったわけだ。

経済が成長しているときは官僚の堕落も国としてカバーできるのかもしれないが、危機に陥っていたときに自分のことしか考えない官僚しかいなければ、その国がどうなってしまうかは歴史を紐解けば一目瞭然ではないか。
民主党は改革を行うと旗印を掲げながら、何が問題かを見極める仮説を立てる力が足りなくて(つまり勉強不足)で立ちいかなくなったと古賀さんは言う。改革ができる政治家を国会に送り出して、その政治家に対して少しはプレッシャーもかけてみるのが、国民の務めだと思う。
| 読書(その他)| 08:23 | comments(0) | trackbacks(0) |

映画と読書とアートのメモ
最近の映画、読書、アートのメモです。


○読書
b11006「原発のウソ」小出裕章
原発の科学者から見た現在の原発推進の問題点を告発しています​。

b11007「原発社会からの離脱」 宮台真司×飯田哲也
 どうして問題の多い原発が政治的に進められてしまったかの背景​が書いてあります。
思考停止状態にある経産省等の原子力ムラの問題点を書いていま​す。

b11008 「今こそエネルギーシフト」飯田哲也、鎌仲ひとみ
 手軽に読める薄い本で、今後のエネルギーシフトについて​書いています。
ちなみに、鎌仲さんの映画「「ミツバチの羽音と地球の回転」は​上関原発の問題を
スウェーデンのエネルギー事情と比較しながら描いていてかなり​お勧めです。

b11009 「原発に頼らない社会へ」田中優
 どうしてコスト高の原発を電力会社が作りたがるのか?、どうや​ったら効果的に節電が可能なのか?を仕組みから解き明かしていま​す。経営学的な方たちにお薦め。
ただ、反対を唱えるのではなく、仕組みそのものを変えるというのは重要な思考のあり方ですね。

b11010 「その前提が間違いです」清水勝彦(講談社)
 原発推進vs脱原発の議論の前提は、そもそもの前提である立ち位置が「経済優先」か「生命優先」かで違うことに起因しているのではないかと思い、この本を読んでみた。清水先生の経営学の本は面白いので買ってあったのだけど積読になっていたのを本棚から引っ張り出した。
だけど、この本はあくまで経営学的な話に終始していて、僕の目的とは合致してなかった。

b11011「「原子力ムラ」を超えて」飯田哲也、佐藤栄佐久、河野太郎(NHKBooks)
 宮台さんとの対談でも書かれていた経産省、保安院、東電の所謂「原子力ムラ」が力を握って、電力政策を彼らの都合だけで動かして、かつ安全対策をおざなりにしてきた経緯が書かれている。 

b11012「海の仙人」絲山秋子(新潮文庫) ※再読
以前読んだときに感銘を受けて再読。
人は自分の問題に深く入ってしまえば、友人が折角いても究極のところで孤独であるけれど、自分の問題を超えて、他者を理解しようとすれば必ずしも孤独にはならない。人はそうした関係性の中でこそ生きていけるはず。素晴らしい余韻のある作品で一読を勧めます。

b11014「アグリ・コミュニティビジネス」大和田順子(学芸出版社)
地域資源である”農山村力”と、都市生活者と農山村生活者の”交流力”を組み合わせて、地域の課題解決にビジネス発送で取り組む”アグリ・コミュニティビジネス”を置いている。
マトリックスを使って、事例を整理。

○映画
m10012「英国王のスピーチ」

m10013「BIUTIFUL ビューティフル」


m10014「コクリコ坂から」


m10015「ちいさな哲学者たち」 2011/8/14
フランスの幼稚園で哲学を学ばせる先端的プログラムを紹介した映画。
フィンランドの教育メソッドと同じで、「なぜ、そう思うの?」を​繰り返すことで、物を考える力が養われることなんだと思います。​フランスは自我を大事にする国だから哲学を扱っているけれども、​日本の初等中等教育も国語や算数などで十分に考える力を身につけ​るようになっているのではないのかな。
映画を観ていて、気づいたのは、4歳の授業スタート時点で全くの​同じ知識レベルだった子たちが、幼稚園の間だけで知悉のレベルで​差ができてしまうこと。それは、恐らく家庭が関係しているようだ​った。
つまり、親と子が家庭において、物を考えることのできる会話が日​常的にできていれば、子どもの学習意欲も高まるようだった。映画​自体は、若干まとまりに欠けていたけれど、今後の参考になった。



○アート
a11001「名和晃平」展 東京都現代美術館 2011/6/18
 僕らは、物をメディアを通してデジタル化して観ていて、実物がほんとうにそうなのかわからない、ということを企図しているように思えた。

a11002「パウル・クレー 終わらないアトリエ」展 東京国立近代美術館 2011/7/15
 二次元から三次元、四次元へ自由自在。世界が小さな要素、つまりは小さなストーリーや人生の集合であることを感じた。展示方法のおかげで気づけたんだと思う。

a11003「木を植えた男 フレデリック・バック」展
 東京国立近代美術館 2011/7/23

| 日々の泡| 07:29 | comments(0) | trackbacks(0) |

映画と読書メモ
映画
・m11009「トゥルー・グリット」コーエン兄弟 ★★
「ノーカントリー」の人間的感情の機微を全く解しない0か1しかないような悪役の怖さに比べると、この映画は物足りない。ただ、映画のできとしては悪くはない。
なぜ、西部劇を撮りたかったのか。この復讐劇は、成功したかのように見えて、何かを得た人間が今一つはっきりしない。むしろ、命を落としたり、身体を悪くしたりと・・・、そのことの無意味さのほうが強い。そうやって、ここまで書いていて、もしかして、これはアメリカの中東への復讐劇の無意味さを揶揄する映画だったのかもしれないとも思う。ちょっと深読みしすぎかな。
主人公側が正義のように見えて、敵をどんどん殺していくわけだけど、果たしてそれに意味があるのかどうかがよくわからない。
結局、少女が時を経て、何も得られなかったように見えるのは、それを暗示しているのだろうか。
映画公開からほどなくして、ビンラディンをアメリカは撃ち殺せたわけだが、その意味は一体なんなのだろうと考えると、自尊心を守るだけだったのかもしれないなどとも思えてきたり。最後に出てきた毒蛇は何を象徴していたのだろう。

・m11010「岳」 ★★
山好きが高じて見た映画だったが、これはテレビドラマの延長的な映画。
ただ、あまり芸術としての映画ではなく、娯楽としてとらえるならば、ふつうに楽しめる。
小栗旬が意外によかった。そういえば、僕が初めて彼を見たのは、ポールオースターの偶然の音楽を、白井晃が演出した舞台のことだった。あの演技がなんともよかったが、ここでは、あっけらかんとした山男を演じていて共感できた。

・m11011「ブラック・スワン」 ★★★
ナタリーポートマン万歳の映画。バレエの技術に加え、裏表の人格と、心理的な抑圧から錯乱に陥るところまでを演じたのはすごい。彼女がいなかったら、この映画は存在しなかっただろう。


読書
・b11005「基礎講座 有機農業の技術」(日本有機農業研究会)
ファームの運営をやっているため、今更ながら基本を勉強しています。
有機農業も奥が深いです。
自分は農学部の大学院まで行っているのに、機会があったのに全く農業のことを勉強しなかった。今頃、慌てて勉強しているのを見て、某ク氏も笑っていることでしょう。

| -| 23:47 | comments(0) | trackbacks(0) |

b11004「雪の練習生」 限定された世界で生きることは不幸せなことではない。 ☆☆☆
三代のシロクマから世界を綴った、なんとも奇想天外なイメージで書かれた本。
異文化の中でのアイデンティティを探ってきた多和田さんでしか書けない。
まぁ、それにしてもよくぞ、ここまでシロクマになりきるものだ。

シロクマとなることは、シロクマに許された限定された情報とそこから紡ぎだす思考のなかで生きることなのだが、そうした限定された中においてもさしてシロクマは不幸せとはならない。

シロクマを異邦人に置き換えると、・・・多分、多和田さんは置き換えながらこの物語を形づくっているのだけど、結局、そういったなかでも人はその限定された生のなかを生きていけるということなのだろう。
人は世界を広げることで幸せになると思うけれど、それは思い違いで、実は限定された世界においても単純に人は生きていける。余計なことなど考えずにね。
そういう意味で異邦人となっていきるということは、とてもシンプルに生きることができるということなのかもしれない。


三代目のクヌートは、情愛を受けた人が亡くなってしまっても、それは情報でしか入ってこなくて、実感を得るものではない。
このクヌートの話では実体と分身(うまい言葉が見つからないけれど)を扱っている。
人はクヌートという実体があるのに、ニュース番組の映像やぬいぐるみに心を委ねようとしている。それがクヌートには不思議な気がする。実体である自分をさしおいて、なぜ人は分身を見ようとするのだろうと。
僕らの生活では、案外、実体である目の前の人を見ずに、テレビ等の違う分身のようなものに思いを馳せたりしているのではないか。
自然界では当たり前だけど、実体しかないから、それと直視して向かい合わないといけない。でも、人間というのはいろいろなメディアやら作ってしまって、身近で大切なものと向かい合えなくなってしまったのではないかということ。

シロクマの視点から物を見てみることで、自分たちの生活が意外に歪んでいたことに気づかされるね。
| 読書(小説)| 23:21 | comments(0) | trackbacks(0) |

こんな土曜日
 ひさしぶりに東京で過ごす週末です。

朝から髪をカットしにいって、美容師さんと突然降り出した雨の話からウィンパーの話、そしてガソリンの話をして、最後は被災地について話をしました。

家に帰って、チェックのシャツとパーカーをネットで買いました(最近、電気光の下でお店に行くのが億劫でこんなのばっかりです。)

それから、しばらく、クラムボンやらハナレグミを聴いてました。このあたりを聴くようになったのはファームに通うようになってからです。多分、スローな雰囲気に合うからなんでしょうね。
そしたらお勧めででてきた、ハンバード・ハンバードの「おなじ話」というのにはまってしまいました。なんとも素敵な歌。

夜は出張帰りの妻と落ち合って、ベトナム料理食べてから、コーエン兄弟の新作「トゥルー・グリット」を観てきました。
映画館の通路ですごくひさしぶりに誰かさんとすれ違ったようにも思ったけれど、それは僕の気のせいかもしれない。



| -| 01:16 | comments(3) | trackbacks(0) |
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