「アイーダ」観劇
23日に電通四季劇場「海」で劇団四季の「アイーダ」を観てきた。
おけぴのサイトで数日前に二階席最前列のチケットをゲットして行ってきた。
ちょうど今年の大学院の授業も終わって、久しぶりに好きなミュージカルでも観てみたいと思ったからだ。
NYと大阪で観て、三回目のアイーダだったが、やっぱりよかった。

アイーダの魅力はこんな感じだろうか。
・まず、許されぬ愛を扱ったラブストーリーでありロマンチックである。
・各幕でメリハリのある展開がある。
・舞台芸術が工夫されている。
・迫力のあるヌビア人の踊りをはじめとして、圧倒的に魅せられる踊りと歌。
・ストーリーのはじめと終わりのつながりなど、工夫がある。

演者はどの方も素晴らしいが、特にアイーダ役の濱田めぐみさんの演技と歌唱には心を動かされる。舞台に立っているだけで、凛としたものを感じる。

| 観劇| 20:35 | comments(0) | trackbacks(0) |

観劇「かもめ」 理想が高すぎるがゆえに折り合えない現実 ☆☆


赤坂ACTシアターで栗山民也演出の「かもめ」を観劇。

藤原竜也と鹿賀丈史の組み合わせで、僕はお二人の舞台を見るのは初めてだった。
藤原さんは声に深みがあり、身体がしなやかで、さすが新進気鋭という感じ。他の方々も持ち味を十分発揮していたのではないだろうか。
ただ、それだけでは感動に結びつかないのが難しいところ。

そもそも原作のチェーホフのこの戯曲自体を流れる雰囲気が明るいものではなく、未来を夢見る若者の挫折と、大人たちの冷めた諦観を扱っているために、もどかしい感じを受ける。ラストも残酷である。

清々しい希望と理想に燃える若者が現実の壁に阻まれ、絶望してしまうのは痛々しい。
周囲がそうした希望を冷笑してしまうのもどうかと思うのだが、若者自身が現実を見据えきれていないところにも問題がある。
理想と現実の葛藤に苦しむのはありえることだが、それは大人になる過程には必要なものなので、その壁を乗り越えて、自分の立ち位置を決めていくことこそが大事なのではないか。
そういう意味で、トレープレフの恋人ニーナのように、それが残酷であっても、現実と折り合って自分の生き方を見出していくのが本来あるべき姿なのだが、トレープレフはそれが見つけられない。

この作品の根幹にある理想と現実との葛藤というテーマは、チェーホフの生きていたこの時代特有のものだろうか。
また、作品を覆っている、どんよりとした鬱屈感や諦観もこの時代特有なのだろうか。
もう少し時代背景やチェーホフの思想にあたってみないとわからないところもある。

いずれにしても、未来に対して悲観的になったら悲劇しか待っていない。トレープレフは若々しい希望の象徴である「かもめ」を自ら撃ち落してしまっているのだからどうしようもない。最後に彼の机の上に「かもめ」の剥製が飾られてしまって、希望が命をもたないものに成り果ててしまったのは哀しいことだ。
| 観劇| 21:08 | comments(0) | trackbacks(0) |

「血の婚礼」 緊張感みなぎる舞台
大久保の東京グローブ座で白井晃演出の「血の婚礼」を観劇。

ストーリーは何と言うことはないが、緊張感にあふれた演出が素晴らしかった。
フラメンコのタップのリズムと森山未来の若さに満ちた激しさのある演技がよかった。
ソニンや江波杏子さん(花婿の母役)といった役者さんもそれを盛り立てていた。
席が舞台に近く、俳優の方の表情まで見れたのはよかったです。
白井さんの舞台は「偶然の音楽」に続き二作目ですが、また観たいと思わせるものがあります。


| 観劇| 22:15 | comments(4) | - |

「橋を渡ったら泣け」 人間性はかくも脆い


渋谷bunkamuraで生瀬勝久演出(土田英生作)の「橋を渡ったら泣け」を観て来た。

何らかの天変地異により8人だけ(大倉孝二・奥菜恵・八嶋智人・小松和重・鈴木浩介・岩佐真悠子・六角精児・戸田恵子)が生き残るという極限状態で人間性を保つことができるのかどうかということを主題にした作品。
ゴールディングの「蝿の王」やサラマーゴの「白の闇」、あるいはラース・フォン・トリアーの「ドッグヴィル」などと同じテーマということになる。
他の作品と同様に、この作品においてもリーダーが暴走し、土着的な宗教的要素を強めていくことで、根源的な暴力の下で他の者を支配しようとする。そうした混乱状態に決着をつけて、芯のしっかりとした新しいリーダーが取って代わっても、始めこそ理想主義をもって統制していてもやがて権力の虜となって同じ過ちを繰り返してしまう可能性をここでは指摘している。

この演劇の中で、そうした少人数でのやりとりがまるで小学校の頃みたいだ、と登場人物に言わせるのだが、すなわち学級崩壊ということもこうしたきっかけで起こりうるのだろうと思う。その空間が少人数の法治外にあると悟ったとき、人間性というのは案外脆いものなのだ。
しかし、そうした文明の化けの皮の剥がれた人間ってなんて醜い争いをするものなのだろう。
今生きているこの平和な民主主義的で法治下にある世界も、そうした醜い争いの上に賢人達がどうにか積み上げてきたものなんだね。
| 観劇| 21:58 | comments(0) | - |

「哀しい予感」 演出に不満は残るが、描いている世界は好き
下北沢の本多劇場で塚本晋也の「哀しい予感」
http://www.umegei.com/s2007/yokan.html

吉本ばなな原作を忠実にだどっていて、小説に近い感覚を与えることに成功している。
役者も市川実日子(とても可愛い)に加瀬亮と、明らかに適役で問題のない方を選んでいて、役者もそれに応えている。

ただ、以下の点が不満だったかな。
・本多劇場の設備上の限界なのか、照明や音響がよくない。明らかに他の劇場に劣っていて、かなり苦しい。特にピアノが物語のキーを握っていくのに、音響がひどい。
・塚本晋也の演出がいまひとつ。原作に忠実すぎて、彼でしかできないオリジナルなものがない。小説と同じ感覚を与えることばかりを追求していて、それを超える何かがそこにはない。
・原作に忠実である以上、叔母・ゆきの役が奔放で魅力のある人間として描かれなければならないのだが、藤井かほりさんがそこに合っていない。もう少し、奔放なイメージの役者をキャスティングしたほうがよかったのではないか。
・舞台づくりも今ひとつ。ベランダの大きさが明らかに、台詞と合っていない。オオサンショウウオが仰向けになっているみたいだ、という台詞があるのだけど、それには明らかに狭い。どちらかを合わせるべきで勿体ない。
散らかった部屋にしても、もっと違う形で表現することは可能。舞台美術という概念自体が欠けていたようにも思う。他の舞台と比較すると、そこが大きくマイナスだった。

演出が抑えられている以上、役者の演技に注目するしかないわけだが、市川さんは透明感のある演技でよかった(彼女の雰囲気が僕的に好きなので少し肩入れしてしまっているかもしれない)。もともとの顔立ちなのかもしれないけれど、目の部分に力があって(眼力がある)、観客に向いて話すシーンは印象に残った。
加瀬亮さんは熱くなって台詞を言い淀んだシーンが数回あったけれど、僕的に好きな役者なのでまぁよかった。何より、原作の雰囲気をもっている方だと思う。
礼儀正しい青年役の奥村知史さんが意外に舞台の空気をつかんでいた。礼儀正しい役以外の演技も観てみたくなった。

吉本ばななさんの世界は、もともと自分自身もそういう世界の一員でありたいと思っていたから、郷愁的なものがあったし、あの世界がほんとうに続いているのならば、僕もそこで生きたいなって思ったよ。

| 観劇| 21:02 | comments(0) | - |

「あわれ彼女は娼婦」 キリスト教的倫理観は現代に何を問えるのか
渋谷Bunkamuraで蜷川幸雄の「あわれ彼女は娼婦」を観劇。
中世イタリアを舞台に、近親相姦をテーマに扱った作品。室内と室外を光を使ってうまく表しているのには驚いた。
宗教と美について学を学んだが故に禁忌的な世界に逆に立ち入ってゆく役を三上博史が演じて、その妹を深津絵里。
最後は宗教にあってはならない血の海のような場面となるのだが、ここが思ったほどには緊張感がなかったかな。
どうしても現代の倫理観と近代のキリスト教的倫理観の間の溝を飛び越えることができなかったようにも思う。
一体、これを観て、現代を生きる僕らに何が跳ね返ってくるかというのが今ひとつわからなかったような気もした。
観る前と観た後で僕の身体の中の組成が変わった気はしなかったということだ。
あるいは芸術作品として観ればいいのかもしれないけれど。
狙いとしては、僕らが根源的にもつ優しさや愛しさというものと憎しみや非人道的な残虐さを共存できるということへの問いかけなのかな。
蜷川作品は形式的なところをたどっていくような作品が多いのかな。他のものも観てみたいと思う。

| 観劇| 22:35 | comments(0) | trackbacks(0) |
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