b11004「雪の練習生」 限定された世界で生きることは不幸せなことではない。 ☆☆☆
三代のシロクマから世界を綴った、なんとも奇想天外なイメージで書かれた本。
異文化の中でのアイデンティティを探ってきた多和田さんでしか書けない。
まぁ、それにしてもよくぞ、ここまでシロクマになりきるものだ。

シロクマとなることは、シロクマに許された限定された情報とそこから紡ぎだす思考のなかで生きることなのだが、そうした限定された中においてもさしてシロクマは不幸せとはならない。

シロクマを異邦人に置き換えると、・・・多分、多和田さんは置き換えながらこの物語を形づくっているのだけど、結局、そういったなかでも人はその限定された生のなかを生きていけるということなのだろう。
人は世界を広げることで幸せになると思うけれど、それは思い違いで、実は限定された世界においても単純に人は生きていける。余計なことなど考えずにね。
そういう意味で異邦人となっていきるということは、とてもシンプルに生きることができるということなのかもしれない。


三代目のクヌートは、情愛を受けた人が亡くなってしまっても、それは情報でしか入ってこなくて、実感を得るものではない。
このクヌートの話では実体と分身(うまい言葉が見つからないけれど)を扱っている。
人はクヌートという実体があるのに、ニュース番組の映像やぬいぐるみに心を委ねようとしている。それがクヌートには不思議な気がする。実体である自分をさしおいて、なぜ人は分身を見ようとするのだろうと。
僕らの生活では、案外、実体である目の前の人を見ずに、テレビ等の違う分身のようなものに思いを馳せたりしているのではないか。
自然界では当たり前だけど、実体しかないから、それと直視して向かい合わないといけない。でも、人間というのはいろいろなメディアやら作ってしまって、身近で大切なものと向かい合えなくなってしまったのではないかということ。

シロクマの視点から物を見てみることで、自分たちの生活が意外に歪んでいたことに気づかされるね。
| 読書(小説)| 23:21 | comments(0) | trackbacks(0) |

針を飲み込む魚、それから「三四郎」のこと b11001
 朝早くから仕事があって、目覚ましをいつもより大分早い時間に設定したのだけど、そんななかでも人は夢を見るものだ。

僕は渓流釣りをしていた。
渓流の瀬に、糸を流して、魚がかかるのを待っていた。
それから見事に二匹の魚を釣り上げた。
なかなか、好調。

そして、さらに竿をふって糸を流したのだが、流れの途中で糸がとまった。
それが手前の大きな岩で隠されて、いったい何が起きたのかが瞬時にはわからない。
これは、川底で針がひっかかったかなと思って、竿のグリップをきかせてみると、なんと魚がかかっている。
僕が気づいた時点で、魚が動き出すとは、魚も随分と鈍重なものだ。
余り抵抗もなく、その魚は引き上げられたのだが、その魚を見て驚いた。
針をすっかり飲み込んでいるんだ。
針を無理やり引きぬくのでは、魚だって痛いだろう。
息の音をとめて、頭を切断するしか仕方あるまい。
と思って、なんだか魚の気分になって、僕は息が詰まる気がした。
魚だって、好きこのんで針を飲み込んだわけでもなし。
ほんとうは魚が餌に食いついた瞬間に、あたりを合わせて、竿をあげれば、魚の口先を針はきれいに貫通できていて、内臓への痛みなど与えなくて済んだのに・・・。

そして、夢から目覚めた。
のどが少し乾いた。

この夢が何かを象徴しているのではないかと思って、ちょっと気味が悪くなった。
後味の悪い夢である。


今日は仕事で、もしかしたら自分が針を飲まされることだって容易にありえそうな事態に遭遇した。
それは僕の思いすごしか、考えすぎなのだろうか。
危ない餌に呑気に食いつくことなく、少し注意をする必要があるかもしれないと僕は思った。

ちなみに課長とその夢の話をしていたら、「魚が人の顔だったわけじゃないんでしょ?だったらいいよ、俺なんていつも仕事の悪い夢しか見ていないよ」なんて言うんだもの・・・。ふへぇー。タフに生きないといかないとね。

以上、夢の話おわり。


今日は仕事の合間に待ち時間がずいぶんあって、小説を読めた。
漱石の「三四郎」。
こんな青春小説でもいろいろと考えさせられるところが多い。
この肩すかしのような恋愛小説を三四郎側から読むと、まさに肩すかしなわけだけど、これは美禰子側から読むとかなり難しい選択をしているんだなと思う。
単純な恋愛の心で考えれば、三四郎との間を詰めていけばいいだけなのに、彼女の自我がそうさせない。
三四郎は、東京大学で将来は大成するかもしれないけれど、今はまだ田舎上がりの一学生さんに過ぎないからだ。
経済面が担保されておらず、美的なセンスが発展途上で、全般的に大人としての余裕や責任感が感じられない。
だから、三四郎への間合いを詰めることができない。彼の気持ちがわかっていてもだ。
ストレイシープは、彼女の心の迷い。
なぜ、感覚にゆだねることができないのか。
物事を冷静に見る力があるから逆に、自分の感情を見失ってしまう。
だからといって、感情に従えば、「それから」の代助のようになってしまうわけだが。

この小説、現代では理知がどこでも勝っているから、美禰子の行動自体は不思議でない。だけど、それでいいのかどうかはわからない。わからないから小説のテーマになりえるわけだけど。

打算やら理知やら大変だな現代は。
針なんか飲み込みたくないし。
小説的な啓示なしの、ただのんびりと釣りをする夢でよいのにね。

| 読書(小説)| 20:46 | comments(0) | trackbacks(0) |

b10032「スティルライフ」 宇宙と交信できたら現実など煙のように消えるのにね。 ☆☆☆
久しぶりに池澤夏樹さんの小説を読み返してみた。
山登りの帰りの電車で読み始めたのだが、その前に見た岩山や広い空や雨粒がまだ僕の眼に残っていて小説世界が身体にすぐになじんだ。
それにしても、素晴らしいストーリーの始まり方。
飲んでいて、科学の話を軽い感じで話すことのできる佐々井という人に惹きつけられる。
こんな人、ほんとに世の中にはいないよね。
この本を初めて読んだ10代の頃には佐々井のような人が存在する世界があると信じていたけれども、実はそうではなかったように最近思う。
本業の科学者ですら、ここまで純粋に自然や宇宙を観察しているとは言い難いのではないか。
科学の神秘を静かに話せる男など、どこを探してもいない。ある意味、浮世離れしていて、世界への諦観をもっている。
それだけ、世界は現実的に生きることを僕らに強いているように思う。

ただ、僕はそれでもこうした世界があるように思うんだ。
山登りの帰りだからか、そんなふうに思えたのかもしれないけれど。

宇宙と交信できる技術があれば、あぁ僕らはきっと楽に生きれるんだろうね。
だって、世界のリアルさを正面から受け止めなくてよいからさ。
(でも、受け止めることも必要なことを僕は一方で知っているんだ。)

| 読書(小説)| 22:23 | comments(0) | trackbacks(0) |

b10025「俺俺」 自己実現を図ることが困難な現代をどう生きるか ☆☆☆
星野智幸さんの新作の評判がよいので、早速読んでみました。
小説では、社会に貢献できないがために、無目的、無気力に陥っていく大衆について、これを「俺」化という増殖する病として設計している。
人の意識の軽薄化を病として蔓延させることによって警鐘を鳴らすのは、ジョゼ・サラマーゴの「白の闇」にも似ているように思えた。

小説において、「俺」化した人たちは、自分が優位に立つために、弱みを見せたものを叩き、抹殺しようとする。
それによって、自分の価値を見出そうとする。彼らは社会において無価値になることを恐れている。
さらに、これが始末に負えないのは、社会に貢献しようとしている人、目的をもっている人、気力をもっている人を排除しようという方向に進むことだ。

「俺」化は、若者の雇用問題が深刻化している現代の中で既に起きている問題だ。若者は自己実現することが非常に難しくなっている。自分の価値観を日々の生活で見出すことが困難になっている。親は自分の世代で可能であったような、安定した職を得て、成長できる夢を見続けていくことを、子供にも求めているが、そんなものは既になくなってしまっている。親は幻想を追うがゆえに、若者世代の現実を理解することができない。

星野さんはそうした状況における解決策として、共同生活体としてひとりひとりが役割を担って、生産を行っていく生活に可能性を見出しているように思う。
ただ消費を続ける生活では、成長ができた時代にはとりあえずは社会に組み込まれて自己実現ができている感覚(錯覚)を得られるが、成長が鈍化した時代においては、成果がわかりにくく、社会における役割が得にくい。
そのため、消費の根元にあったはずの生産をもう一度手元に戻すことが大事なのではないかと改めて思った。
現代のように分業によって末端がパーツに分かれてしまうと、その一つ一つのパーツはこの小説の「俺」のように、取り換え可能になってしまって、本来あったはずの目的が把握できなくなってしまう。
だから、多少非効率でも、人が属すユニットを小さくして、その中で貢献できていることが実感できるレベルに戻したほうがよいのかもしれない。


| 読書(小説)| 22:30 | comments(0) | trackbacks(0) |

b10021「猫を抱いて象と泳ぐ」 チェスが生み出した物語の豊かさ ★★★

チェスさしの小説。
バスに住む大男、チェスの人形、地下でのチェスのドラマ、そして主人公リトル・アリョーヒン・・・。
小説世界のイメージが豊穣で、かつそこに繰り広げられるチェスのゲームの緊迫感。
ただ、勝つためだけではなく、人生自体を表現するようなチェスの駒の動きに魅了される。

ずいぶんと長い時間をかけて読んでしまったけれど、この小説にはそれが許されるような気がする。
| 読書(小説)| 10:15 | comments(0) | trackbacks(0) |

b10019「幻影の書」 不在と孤独によって、むしろ生は希求される ☆☆☆
ポール・オースター
新潮社

2002年に発行されたポール・オースターの「幻影の書」。
筆致に冴え、ストーリー展開の絶妙さもさることながら、そこに込められた人の生についての不可思議さに魅了される。

主人公にとって、生は落ちること、愛しい人たちが高みから落ちていくことで、彼は人生をいったん離脱してしまう。
魂が抜けて、孤独の中でひっそりと生きていく。
その孤独を破るものが、ヘクターマンの喜劇映画だったということ。
そこから、主人公と同じように自分の生をいったん離脱してしまったヘクターマンの生涯をなぞっていく。
主人公がようやくヘクターマンにたどりつき、自分の生を取り戻したかと思われるが、その瞬間、全ては再び瓦解して空中分解していく。

自分の存在は誰かの存在によって確かめられて、意味をもっていく。
しかし、その誰かの不在が突然やってきたとき(つまりは自分に孤独が訪れるとき)、自分の存在も不確かなものになっていく。

他者が存在していることは、自分の存在すること以上に、確かなものではない。
というのは、自分が不在になればそれはこの人生という映画のエンディングにすぎないが、大切な他者が不在となっても、自分の身体はこの世にどうしようもなく残っているからだ。
身体をどのようにひどく扱ってみたとしても、生は残り、孤独はさらに強まっていく。

ただ、逆説的だが、不在と孤独を知っているからこそ、人は生に恋焦がれるのだと思う。多分、それが生の意味だと思う。不在を身体で知ったものだからこそ知り得る至福。

この本では、最後のほうで出てくる無声映画の描写が素晴らしい。
映像が文字の中から浮かび上がってくる。
そうした読書体験ができることに感謝。

| 読書(小説)| 00:19 | comments(0) | trackbacks(0) |

b10018「1Q84 BOOK3」 ☆☆☆
村上春樹さんの新作「1Q84  BOOK3」を読みました。読後のメモ書きです。

○全体構成
・複層的なストーリー構成に感嘆(小説内小説のメタ構造、1984と1Q84の二重世界)
・軽いけれど、表面のその下にどろどろとした泥濘も用意されている。泥濘に足をはめてみるか、とりあえずは表面をぴょんぴょん跳んでいくかは読者に任されている。

○主題
・一番大きな主題は、組織の大きな力に対して、個人はどのようにバランスをとって、生きていくということだろうか。特に、誰もが信じられるストーリーのなくなった現代に、どのようなストーリーを個人は背景として生きていくのかということ。
・NHK集金人の父との確執、相互理解への歩み寄りといったものが、海辺のカフカなどと同様に別主題として用意されている。

○登場人物から学べること
・ものごとを深く考えて、追求していくこと
・繰り返しの作業の中に、何か(意味)をみつけていくこと
・人を深く思うこと。思い続けること。
・象徴が、行動と繋がるときに意味をなすことがあること。ただ、考えるだけでなく、行動を伴っていかないと動いていかないこと。
・単純な抜け漏れが命取りになりえること。

| 読書(小説)| 00:31 | comments(0) | trackbacks(0) |

b10014「ドーン」 個人と分人をどのように両立させればよいのか ☆☆☆
僕と同年代の平野啓一郎さんの新作「ドーン」を読んだ。
初期の頃の作品もそれなりに楽しく読んでいたのだけど、この作品では平野さんの力の充実度が如実にあらわれていて、感慨深くもあった。作品も素晴らしい。
平野さんの初期の作品が自分の書きたいものがあって、それをどうだというように読者に提示していたところがあったのだけど、この作品はかなり受け手を意識している。
語りたい主題をエンターテイメント的な作品におとしこんで、ストーリーの面白さでも読ませてしまう。
設定が、2030年年代で宇宙飛行士で火星と地球の間の宇宙船や、アメリカの大統領選の周辺、東アフリカと、まったく日本人にとっては現実の外を描いているのだけど、これが足が地についていてリアルなところが素晴らしい。エンターテイメントとして大きな展開を見せる中で将来の課題を主題として織り込むという村上龍的な小説を描いているのだけど、設定に甘さがないところには驚きます。大統領選で共和党と民主党が争う政策の違い、小さな政府・大きな政府といった経済面や、多国籍企業のようなビジネスの関わり、宇宙の資源開拓闘争と科学技術の進歩も、なるほどと思わせるところがあります。
平野さんは文学頭でっかちでなく、世界を広く見渡せている点で本当に頭がいいですね。

そうやって様々な背景がきちんと描かれている中で、主題は個人individualと分人dividualであった。
社会が複雑になる中で、人は相手や局面にあわせて、分人を使い分けていくことになるのだけど、この小説ではそれを3年間の狭い宇宙船内を含めた火星生活という極限状態で試すことで、その場所を弁えた分人だけで対応するのが困難となり、その表面の底を流れる個人をさらさずには生きていけなくなるということを示している。
様々な分人を使い分けながら、それの集積である個人としてどのようにこれからの時代を生きていくべきなのか?という問いは、20世紀までのように世界の価値観がひとつであって、職場でも家庭でも社会活動においても同じ顔をしていればよい時代での(私小説が扱ってきたような)個人的な課題を超えている点で、複雑きわまりない。
しかし、最終的にはそれは個人に帰結していく。ただし、すべての分人を放り出すわけでなくそれらを束ねた上での個人を大事にしていくことが必要だというのが結論だろうか。

この小説ではそれ以外のところにもいろいろな問題を提議している。
・国と企業のありかた。
・科学技術の進歩による疑似仮想的な人間的役割をするものの予見
・悪と恥を隠すという行為
・小説がwikinovelとして、共同作業的小説が生まれてくるということ
・世界がアメリカ軸から多軸化していく中での日本や日本人の役割
・・・・
とちょっと考えてみただけでも、ひとつひとつを主題に取り上げても十分面白みがあるように感じた。
新しい時代の夜明け「ドーン:dawn」を予感させる小説として、なんとも力作を書いたものです。

| 読書(小説)| 11:49 | comments(2) | trackbacks(0) |

b10010「横道世の介」 呑気さこそが社会を明るくする ☆☆☆
久しぶりの小説読み。
吉田修一さんの新作。

はじめ、大学生の話と知って、三四郎のような小説を想像していたのだけれど、そんな身構えたものでもなく、主人公の横道くんは普段たいして何も考えていないような大学一年生でしかない。
であるのに、この小説は読ませる。
たぶん、この横道くんというのが平凡な大学一年生であるがゆえに、多くの人にとって自分の学生時代とオーバーラップするからではないかと思う。
横道くんのことを知っていたわけではないのに、なぜか懐かしい気分になるのはそういう仕掛けだからだろう。
そして、エンディングにはしみじみとした余韻が待っている。

大学一年生のもっている呑気さは、特権なのだろう。
その特権を社会で分別がついていくとどこかで僕らは失ってしまうんだろう。
横道くん自体も、長崎から上京して1年して、彼のもっていた「隙」がなくなっていると隣人は指摘している。

横道くんの良さは、呑気さをベースに存在している人や社会への信頼感や+思考だと思う。
人は社会で働いているうちに、呑気さという特権を失っていって、なぜか信頼感や+思考まで失ってしまう。
この本は、人を信頼しようとか、+思考で飛び込んでみようとか、そういった感情を湧きあがらせてくれる。
| 読書(小説)| 23:45 | comments(0) | trackbacks(0) |

b09016-17「1Q84」 20世紀末に求められたオウム的な仮想物語に対する作家なりの決着弾 ☆☆☆
1Q84(1)
1Q84(1)
村上春樹

1Q84(2)
1Q84(2)
村上春樹


村上さんの新作。この作品が果たして全2巻なのか、定かではないのだけど、妻が買ってきてくれた2冊の本を一挙に読んだので、これについて手短に感想を書いてみよう。
続きを読む >>
| 読書(小説)| 00:43 | comments(0) | trackbacks(0) |
Page: 1/6   >>

Category

Search

Entry

Comment

Archives

Link

Feed

Others

無料ブログ作成サービス JUGEM

Mobile

qrcode