ある金曜日の夜に
今日は仕事も早く終わって、妻と1歳の娘(そう、1年前に娘を授かったのです)も帰省中ということで、新宿に出て映画を観ました。
「アイアンスカイ」という映画だったのだけど、正直期待外れだったかな。突拍子もないSFなんだけど、アメリカを自嘲したような映画のつくりで、ブッシュが嫌いで正義を笠にするアメリカのあり方を自問しているアメリカ人おたくだったら楽しめたと思う。
ちょっとがっかりしたわけだけど、そのあと、山の手線から眺めた渋谷や原宿あたりの街並みを眺めていたら、それが既にSFで、自分が過去からタイムマシンに乗ってきた人みたいに思えた。(あるいは、タイムマシンに乗ってきて、さっきこれまでの記憶を植えつけられたばかりなのかもしれない。)

それから五反田でご飯を食べて帰ってきた。五反田というのは、なかなか不思議な町だ。猥雑で怪しさがあるのだけれど、飲食店が多く、まぁ、人の欲望や裏面というものが表出している。
僕が住んでいる町はそこから地下鉄で一駅で、猥雑さは消えて庶民的な町だ。
コインランドリーとクリーニング店が多く、焼き鳥、コロッケ、焼肉屋の類が軒を並べている。その前に住んでいた吉祥寺界隈にあったフレンチだとかイタリアンとかカフェとかバーとか気のきいた居酒屋といったオシャレなものはここにはない。
僕は引っ越したばかりのとき、余りの違いに驚いたけれども(少し落胆もしたけれども)、まぁ結局乳児を持っている親ともなれば、どのみち、オシャレな外食なんかほとんどしないものだ。

既に長々と書いているが本題はこれから。
22時になって、家から辺りをランニング。
適当な方角に走っていくと、僕が通勤のときに通り過ぎる駅なんかに出る。そうやってこれまで点でしかなかった町が、線として繋がっていく。
そして、今日僕が不思議に思ったのは、どこまで走っていても、そこに人の暮らしがあるということ。
庶民的な居酒屋があって、誰かが飲んでいて、誰かが夕食を食べていて、誰かがカウンターで頬杖をつきながら本など開いている。そうしたものの繰り返し。
僕はひとりしかいないけれど、世界にはたくさんの人がいて、そう、僕が走って回れる範囲だけでも、たくさんの人たちが暮らしている。

僕の人生は限られていて、多分人生の半分くらいまでやってきていて、もはやそうした人たちと全て交わったりすることもないことを僕は知っている。
僕の命は限られていて、世界をすべて見ることはできないし、世界のすべての人と話すことはできない。
ただ、途方もない世界の広さ。
そういうのって、ちょっと切ない。

あるいは、もしかしたら僕はさっき過去からやってきて、この記憶を植えつけられたに過ぎないかもしれないけれど・・・。


今夜はひとりだから、ひとりでゆっくり考えている。

| 日々の泡| 00:32 | comments(0) | trackbacks(1) |

映画と読書とアートのメモ
最近の映画、読書、アートのメモです。


○読書
b11006「原発のウソ」小出裕章
原発の科学者から見た現在の原発推進の問題点を告発しています​。

b11007「原発社会からの離脱」 宮台真司×飯田哲也
 どうして問題の多い原発が政治的に進められてしまったかの背景​が書いてあります。
思考停止状態にある経産省等の原子力ムラの問題点を書いていま​す。

b11008 「今こそエネルギーシフト」飯田哲也、鎌仲ひとみ
 手軽に読める薄い本で、今後のエネルギーシフトについて​書いています。
ちなみに、鎌仲さんの映画「「ミツバチの羽音と地球の回転」は​上関原発の問題を
スウェーデンのエネルギー事情と比較しながら描いていてかなり​お勧めです。

b11009 「原発に頼らない社会へ」田中優
 どうしてコスト高の原発を電力会社が作りたがるのか?、どうや​ったら効果的に節電が可能なのか?を仕組みから解き明かしていま​す。経営学的な方たちにお薦め。
ただ、反対を唱えるのではなく、仕組みそのものを変えるというのは重要な思考のあり方ですね。

b11010 「その前提が間違いです」清水勝彦(講談社)
 原発推進vs脱原発の議論の前提は、そもそもの前提である立ち位置が「経済優先」か「生命優先」かで違うことに起因しているのではないかと思い、この本を読んでみた。清水先生の経営学の本は面白いので買ってあったのだけど積読になっていたのを本棚から引っ張り出した。
だけど、この本はあくまで経営学的な話に終始していて、僕の目的とは合致してなかった。

b11011「「原子力ムラ」を超えて」飯田哲也、佐藤栄佐久、河野太郎(NHKBooks)
 宮台さんとの対談でも書かれていた経産省、保安院、東電の所謂「原子力ムラ」が力を握って、電力政策を彼らの都合だけで動かして、かつ安全対策をおざなりにしてきた経緯が書かれている。 

b11012「海の仙人」絲山秋子(新潮文庫) ※再読
以前読んだときに感銘を受けて再読。
人は自分の問題に深く入ってしまえば、友人が折角いても究極のところで孤独であるけれど、自分の問題を超えて、他者を理解しようとすれば必ずしも孤独にはならない。人はそうした関係性の中でこそ生きていけるはず。素晴らしい余韻のある作品で一読を勧めます。

b11014「アグリ・コミュニティビジネス」大和田順子(学芸出版社)
地域資源である”農山村力”と、都市生活者と農山村生活者の”交流力”を組み合わせて、地域の課題解決にビジネス発送で取り組む”アグリ・コミュニティビジネス”を置いている。
マトリックスを使って、事例を整理。

○映画
m10012「英国王のスピーチ」

m10013「BIUTIFUL ビューティフル」


m10014「コクリコ坂から」


m10015「ちいさな哲学者たち」 2011/8/14
フランスの幼稚園で哲学を学ばせる先端的プログラムを紹介した映画。
フィンランドの教育メソッドと同じで、「なぜ、そう思うの?」を​繰り返すことで、物を考える力が養われることなんだと思います。​フランスは自我を大事にする国だから哲学を扱っているけれども、​日本の初等中等教育も国語や算数などで十分に考える力を身につけ​るようになっているのではないのかな。
映画を観ていて、気づいたのは、4歳の授業スタート時点で全くの​同じ知識レベルだった子たちが、幼稚園の間だけで知悉のレベルで​差ができてしまうこと。それは、恐らく家庭が関係しているようだ​った。
つまり、親と子が家庭において、物を考えることのできる会話が日​常的にできていれば、子どもの学習意欲も高まるようだった。映画​自体は、若干まとまりに欠けていたけれど、今後の参考になった。



○アート
a11001「名和晃平」展 東京都現代美術館 2011/6/18
 僕らは、物をメディアを通してデジタル化して観ていて、実物がほんとうにそうなのかわからない、ということを企図しているように思えた。

a11002「パウル・クレー 終わらないアトリエ」展 東京国立近代美術館 2011/7/15
 二次元から三次元、四次元へ自由自在。世界が小さな要素、つまりは小さなストーリーや人生の集合であることを感じた。展示方法のおかげで気づけたんだと思う。

a11003「木を植えた男 フレデリック・バック」展
 東京国立近代美術館 2011/7/23

| 日々の泡| 07:29 | comments(0) | trackbacks(0) |

最近読んだ本と映画のメモ

 最近読んだ本と映画のメモ。

○本
・b11003「旅をする木」星野道夫(文春文庫) ★★★
短編エッセイから成りたつ本だが、一つ一つの話の比重がとてもある。星野さんの生き方が自然に対して真摯でかつ温かいまなざしをもっているから、それがなせるのだろう。
この本を読んでいると、ザックにテントとシュラフを詰め込んで、誰も行かないような原始林が荒野でも旅したい気持ちになるね。
もっと早く出会ってもよい本だった。
そしたら、僕の人生は星野さんからもっといろんな影響を受けていただろう。

・b11002「クォンタム・ファミリーズ」東浩紀(新潮社) ★★
I君に勧められて読んだ本。村上春樹の「世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド」を下敷きに、世界の二重構造化が科学的に証明される近未来を舞台にしたSF。
発想は面白いが、やや小説世界の構造を気にかけ過ぎて、主題がそれより弱くなっていた感もある。また、この量子力学?の科学を駆使した世界の構造と、度重なるタイムスリップに読者が置き去りにされるような感もある。
ただ、この小説でのメッセージは、今の世界を精いっぱい生きていくことが大事であるということ。つまりは、ありえたかもしれない世界を後悔するのではなくて、今の現状を受け入れつつ、そこから最善の道を模索していくことこそが重要だということ。

・b11001「ストーリーとしての競争戦略」楠木建(東洋経済新報社)★★★
経営学の本としては、随分思いのたけをつぎ込んだ本のように思える。
素晴らしい戦略は人に話したくなるようなストーリーをもつものだ、というのは確かだろう。
よい戦略は単なる思いつきではなく、戦略全体できちんと整合性がとれていて、一見不合理な点も、戦略全体でみれば合理的なのだという点が面白かった。
人真似ではなく、自分の頭で考えて論理矛盾を起こさないようにすることが大切だと思ったよ。


○映画
・m11008「somewhere」ソフィア・コッポラ ★★★
 冒頭のいくぶん退屈な、スポーツカーが円状のトラックを何度もまわる映像。
 一見優雅そうに見えるけれど、そうした回転には何の意味性もないことを意味させていた。
 主人公はリッチな生活を送る俳優。お金にも物にも名誉にも女性にも、すべてにおいて不自由なく生きているのだが、その生活は早送りして見ていけば、何かの意味性を有していない。生きること自体に信念を感じられず、ただ欲望に従って日々を送っているに過ぎない。(ただ、この主人公のよいところは決して悲観にはならず極めて楽観的なことだ。よくも悪くも楽観ということだ。)
 そうした生活を再度見つめ直すきっかけを与えたのが11歳の娘とのひととき。彼にとって、娘と過ごす時間が他のどんな時間よりも愛しく大切になる。そこでようやく、スポーツカーで同じ円を廻り続けることに疑問をもちはじめ、自分はからっぽなんじゃないかということに思い至る。
 誰にでも理解してもらえる映画じゃないけど、でも確実に人の人生を見返すことのきっかけを与えると思う。そして、大事な人との時間を大切にしたいと思わせる映画である。

・m11007「ミツバチの羽音と地球の回転」★★★
  感想は⇒http://blog.pitarafarm.com/?eid=62

・m11006「180° SOUTH(ワンエイティ・サウス)」★★
  感想は⇒http://blog.pitarafarm.com/?eid=56

・m11005「フードインク」★★
 アメリカにおいてトウモロコシが、あらゆる食糧の下味となるコーンスターチやハンバーガー等のもとになる肉牛等の家畜の飼料として利用されていて、それが低所得者層の糖尿病などを招いていることをわかりやすく描いた作品。トウモロコシは、農薬を大量に使った大規模栽培化に向かって、まるで工場のように生産されていく。そうした食糧生産と食糧供給のシステムが壊してしまったものを明らかにする。

・m11002「ベルヴィル・ランデブー」(再)★★

・m11001 「キング・コーン」★★
 若い二人の青年がトウモロコシ大規模生産を体験していくなかで、アメリカの食が偏った方向に進んでいることを暗に告発したドキュメンタリー。


| 日々の泡| 23:19 | comments(0) | trackbacks(0) |

今年のベスト
年末なので今年のベストを振り返っておきます。
大学院修了してからもっと観たり読んだり出来るかと思ってましたが、9月から始まったファームにかなり時間を割いたように思います。
 

映画
・息もできない
・瞳の奥の秘密
・ハートロッカー

小説
・1Q84 Book3 (村上春樹)
・ドーン (平野啓一郎)
・猫を抱いて象と泳ぐ (小川洋子)
・俺俺 (星野智幸)
・幻影の書 (ポール・オースター)

その他の本
・リンゴが教えてくれたこと (木村秋則)
・環境と経済の文明史 (細田衛士)
・オーガニック革命 (高城剛)
・日本辺境論 (内田樹)
・出現する未来 (P.ゼンゲ他)
・未来を予見する5つの法則 (田坂広志)

アート
・ルーシー・リー展(国立新美術館)
・小野竹喬展(東京国立近代美術館)
・アーティストファイル2010展(森美術館)

舞台・音楽
※ほとんど観てない(涙)




| 日々の泡| 11:53 | comments(0) | trackbacks(0) |

最近読んだ本や映画のこと
ファームをはじめてからは、忙しさにかまけて、本も映画も演劇もアートも触れる時間が少なかったけれど、そのなかでもいくつか観たり読んだりしていたので、アウトプットします。

●映画
m10017「白いリボン」ミヒャエル・ハネケ監督 2010/12/25


カンヌ受賞作
第1次大戦がはじまる直前のドイツの村を舞台に、抑圧された状況下で起きる事件を描いた作品。
人間心理にクローズアップして、モノクロで描いている分、余計なものをわざと見せないようにしている。
謎解きの多いストーリーだが、実はこの謎は一度漠然と観たくらいでは解けない。
解くことができない謎を用意することで、観た人のなかで簡単に消化されることを拒んでいる。
一体なんだったのだろう?と社会、宗教、政治の背景、さらには村人たちの心理を考えていかざるをえない。
そのなかで何か普遍的なもの(抑圧と悪意と暴力の発露の関係)を見出すに至れるのかもしれない。
僕はずっと、カーリーの事件の真相を考えていて、このいったりきたりを繰り返している。
ネット時代では誰か彼かが回答を用意してくれていたりするのだが、この映画に限っては回答がない。
つまり、9割9分の観客は謎であることはわかっても謎が解けていないということなんだよね。
それにしても、ここまで観客を考えさせる映画はないように思う。


m10016「ノルウェイの森」トラン・アン・ユン監督 2010/12/23

映像に心理描写を重ねたのは監督らしいところだったのだろうが、原作を忠実に追い過ぎたような気がした。
原作がこれだけの名作だと、既に観客は自分のノルウェイの森をもっているから、
それとの違いを明確にしたものにするか、それ以上の世界観を提示するかしないと苦しいね。
悪くない映画だけど、もう一度観たいかと言われると、クエスチョン。


●読書
b10037「ハーバードの「世界を動かす授業」」リチャード・ヴイートー 徳間書店

各国の歴史や社会的状況、政策を、全体像として眺め、戦略が適切かどうかを見極めようという壮大なハーバードの授業。
日本が郵便貯金により国として投資資金をつくり、必要な産業に集中投下していたという分析は分かりやすいです。


b10036「アラスカ 風のような物語」 星野道夫 小学館文庫

アラスカの厳しい自然のなかでは、動物たちの存在が大きくなり、また人もひとりひとりの存在が強くなると感じられた。
星野さんの自然や動物、人への温かいまなざしがよかった。


b10035「Natural Food 自然の野菜は腐らない」 河名秀郎

b10034「南の島のティオ」池澤夏樹 文春文庫

b10033「夏の朝の成層圏」池澤夏樹 文春文庫 (再読)


●アート
「ゴッホ展」国立新美術館
「陰翳礼讃展」国立新美術館

| 日々の泡| 08:43 | comments(0) | trackbacks(0) |

b10024「東京奇譚集」(再読) 無条件の愛がすべてを変える力をもつこと ☆☆☆
村上さんの短編だが、前回読んだ時、非常に面白く感じたので再読してみました。

前回は、ハワイのサーフィン中にサメに襲われて一人息子を失った母親のいくぶんハードボイルドな話が気にいったが、今回は小説家と職業のわからない女性との関係を描いた「日々移動する腎臓のかたちをした石」が印象深かった。

女医が拾った腎臓のかたちをした石が机においておくと、常に位置を変えるようになり、女医を揺さぶり続けるという内容の小説。
小説家は、その石の動きが何を意味しているのか、自分で書いていて、意味を理解することができない。それは恐らくは、小説家自身が誰かを無条件に愛することのできない迷いをあらわしていることを彼は察知できない。

彼はいったん心を決めて、小説内において、女医に石を捨てさせる。つまり、迷いを断ち切って、一人の女性を愛そうとする。
だけど、彼が生涯愛する女性はたった一人と彼の中で決め切れていない逡巡さがある。
だから、石は深い海に沈んだはずなのに、小説内において石は再び戻ってくる。
そして、小説家はほんとうは愛したかったはずの女性との乖離を経験する。

だけど、彼はある日、悟る。その動く石のような、常に留保をつけたような、自分の煮え切れない愛の作法ではいけないのだということを。
無条件に誰か一人を愛するという心・決心こそが、彼を前に進ませることを。

短編「ファミリー・アフェア」で、家庭という束縛を嫌って、自由を謳歌しているのに迷いをもっていた主人公の男性がいたけれど、今、その無責任な自由というものを突破できるのが、無条件の愛というものなんだと悟ったわけなんだね。

・・・というのが僕の感じたこと。

| 日々の泡| 20:21 | comments(2) | trackbacks(0) |

ファーマーズ・マーケットへぶらり
このところ、代々木公園のアースデイ・マーケットに行くようになって、他のマーケットにも興味が湧いて、表参道の国連大学前でやっているファーマーズ・マーケットを観てきた。
こちらは、すべての出店している店に、ディスプレイ用としてfarmer's marketと書かれた共通の木箱を渡していて、どこの店もそれに野菜を入れている。
カボチャやトマトといった色の鮮やかな野菜が映えていて、デザイン的に非常によろしい。
観ていてわくわくするとはこのこと。

ただ、こちらは場所が表参道であるせいか、客と店とのコミュニケーションがアースデイ・マーケットほどは活発ではなかった。
どちらかというと地元向けのマーケットというイメージ。野菜の値段もそんなに安くないし、有機野菜以外のお店も多かった。
それでも足を運ぶといろいろと勉強になる。
お客は、スーパーに行かず、わざわざマーケットに来ているのだから、そのコミュニケ―ションの欲求をかなえることのできる売り方が必要だろうなというのが感想。

帰りに駅前のスーパーの魚屋で、赤いグロテスクなホウボウを買って、i-phoneのクックパッドのレシピでアクアパッツァをつくってみた。白身の魚とアサリがオリーブやケッパー、アンチョビ、ニンニクと一緒によいスープとなっていい感じ。白ワインも飲んで満足満足。悦楽也。



ホウボウです。



| 日々の泡| 22:30 | comments(4) | trackbacks(0) |

大学院の卒業式
今日はグロービス経営大学院の卒業式。
単科生時代も含めて、都合3年間通って、予習やレポートに追われた日々からの卒業。

通う前は、MBAもとれれば、それなりに自信もつくのだろうと思ったのだけれど、僕は3年前に比べて相当、謙虚になったように思う。
通ってみて、学修を重ね、先生や優秀な仲間たちとの交流を通じて、視野が大きく広がった。そのおかげで、自分の井の中の蛙さに気付いたし、自分ひとりでは出来ないことにも気づいた。
そして、価値観までも変わってしまった。
ひとつの組織のために尽くして、そこで認められることで終ってしまってもしょうがないようにも思えてきた。一方で、日々の小さな積み重ねができなければ、何もなしえることなどできはしないことも理解できたわけだが。

これから自分は新しい価値観に、自分のライフスタイルを切り替えていきたいと思っている。
実際に、4月から週末に農場に通って、農作業やコミュニケーションをしているわけだけど、これを社会に広めていくことを仕事としてできないか検討していく予定です。

具体的には、
・弟と妻とのコミュニケーション型の有機ファームづくり
・静岡のOさんとの茶畑再生
に取り組みたいなと思っている。

ただ、実際にはいろいろな形でこういうことに取り組んでいる団体や人たちがいるので、軌道に乗るまでは真似をしていくにしても、これまでとは違った形で独自色を出していきたいなと思っている。

そういうわけで、卒業式はひとつの区切りであって、通過点であり、ここから新しいことにチャレンジしていかないといけないと思っている。扉は何もしなければ開くことはない。まず、トントントンと叩き、それから押しあけていこう!
| 日々の泡| 00:22 | comments(0) | trackbacks(0) |

循環と分断について
organic farm暮らしの実験室の茨木君のブログ「ドンキーのファンキー農的日誌」の「めぐりまわり系」が面白かった。
http://yaplog.jp/donkey/archive/258

(引用です)-------
よく時間の捉え方をする時に、昔は時間は回っていた(循環)が、現代は直線だと言ったりする。
確かに、誰が考えたか、過去や未来という観念が存在して、それが飛躍して過去に戻ったり、未来に行ったりそんなSFもあるけど、そんなもの実際には存在しない。農業をやっていれば、季節は廻り廻り、春の次に夏が来、(中略)そしてまた春がやってくるだけだ。

しかし、現代社会の問題を捉える時には循環の反対語は間違いなく「分断」だろう。
循環というのは経済合理性がない。だからいったん全てをバラバラにしてそれぞれのパーツをそれぞれの場所で、それぞれの人が担うようにする。一人の人間が一つの職業をもっているのも分断思考(=経済合理性)。一つの会社が一つの分野を扱っているのもそう。分断は人の思考を低下させる。特定の分野においては詳しくなるが、分断されすぎていて、いちいち全体を見るのが億劫になる。食べ物で言えば添加物とはまさにそういうものだろうと思う。より安い素材を使って商品を作る。すると安い素材はマズイ。だから添加物で味をごまかす。多くの消費者は知らないうちにそういうものを食べて、それがおいしいと感じるようになる。どこで誰がどういう思いで作ったか、という事はそこでは問題にならない。

そういう思想でやっていると社会は全体として疲弊していく気がする(あくまで気ですが)。
-----------------

なるほど、循環社会は経済合理性に欠けるから、アダムスミスの言うところの分業をしていくことになるわけですね。
しかし、いったん分業がはじまってしまうと、それぞれの構成要素が集まって、循環していることに思いを馳せることができなくなってしまう。

この前、ツリーハウス・プロジェクトの行きの電車の中で、京都から来たSさんが、国際性やコミュニケーションについて、「それは想像力の問題であって、どれだけ自分の問題として、違う人たちのことを考えられるかが大事で、海外に行ったことのない田舎のおばあちゃんだって、それを持ち合わせていることもあるし、一方で海外に良く行っていても全くその地のことを考えられない人がいるんだ」と話されていて、僕は感銘を受けたわけだけど、どうやら、循環についても同じことが言えるようだ。

分断化されていくものをつなげていくことが、まさに有機であって、有機は物をつなげ、さらにコミュニケーションを繋げていく場になりえるのだ。

しかし、こういう物事の仕組みを看破できる茨木君はすごいなぁ。
それは想像力の問題なのかもしれないけど・・・。

都会暮らしをしているとすべてをパーツで見ていくようになってしまって、それが効率性の名のもとに、さもよいことのように認識されている。
大量生産大量消費大量廃棄でどんどん成長できた時代は環境がそれをどうにか受け止めてくれていたわけだけど、今の社会ではそれが限界になってしまったということなんだろうね。

| 日々の泡| 00:00 | comments(0) | trackbacks(0) |

5年目のウェディング衣裳
僕と妻は2005年12月24日に入籍したわけだけど、式もあげていなかったので、4年半たったところで写真だけ撮りに行った。

この前、友人の結婚式でいった目黒雅叙園で写真撮影。
妻はウェディングドレス姿、セットにずいぶんと時間をかけたこともあって、可愛らしく、綺麗だった。
一方、僕の着替えは5分もかからず、こんな服かと落胆するようなだぶだぶズボンと上着。ちょっとピエロ的な滑稽さと悲哀さがあるように僕は感じた。(男の人って、みんな、そう思っているんだろうか。)
空き時間は、TLCのwaterfallsなどがかかっているお部屋で、机の上にあった男性ファッション誌を少し読んで、あとはオースターの小説読んでた。(おかげで随分進んだ。)

写真撮影は順調。どの写真も妻はかわいく撮れているけど、僕は舞台俳優でもないのでちょっと照れくさく映っている感じ。

終わってから、恵比寿のura cafeで5年ぶりに(実はその存在すら忘れていたわけだけど)ランチを食べて、そのあと、六本木の美術館に行った。なんともよい平日のお休みだったわけでした。

| 日々の泡| 00:22 | comments(0) | trackbacks(0) |
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