b09016-17「1Q84」 20世紀末に求められたオウム的な仮想物語に対する作家なりの決着弾 ☆☆☆
1Q84(1)
1Q84(1)
村上春樹

1Q84(2)
1Q84(2)
村上春樹


村上さんの新作。この作品が果たして全2巻なのか、定かではないのだけど、妻が買ってきてくれた2冊の本を一挙に読んだので、これについて手短に感想を書いてみよう。
 *

この作品は、小説技巧としてあやとりで出来た銀河か宇宙のように(そういうものがあればという仮定だけど)全体のバランスがうまくとれ、かつストーリーの面白さがあり、届きそうで届かない小説の核(あるいは魂)が秘められている。

まず小説のテーマとして抱えているものとして、村上さんが注目してきた「オウム事件」がある。当時の精力的なインタビューの中で感じてこられたカルト宗教の信者たちの無垢さと清浄さ、それと対照的な現代社会の短絡さや毒のようなもの。
事件を咀嚼してそれが物語化したのがこの小説ともいえるだろう。

この小説では、小説内小説を使っている。小説内小説は宗教において人が信じるストーリーに相当するのかもしれない。小説内小説の世界が1Q84で、1984の世界から進んできた時間と歴史の流れがあるところで切りかわってできた世界という設定となっている。

1984はオーウェルの想像した未来社会の延長、1Q84はオウム事件のような信者が信じる違う世界の流れと捉えてもよいのかもしれない。

1Q84において、つまりオウム事件が起こっているこの世界において、その事件のマイナスの部分が形成されていることについて、それが世界のバランス上起きていることだと示唆している。つまり、宗教は宗教と逆の論理構造(現代社会の軽薄さ、物質主義等)の裏返しであるということであり、バランスをとるためには、新しいストーリーを知覚するパシヴァと、それを受け止めるレシヴァが必要とされるとする。
パシヴァとレシヴァは、人々を信じ込ませるストーリーを紡ぎあげる人と考えることができる。人々は自分のストーリーを紡ぎあげることができないから、カルト宗教が紡ぎあげるストーリーに依存しなくてはいけない。だけど、そのストーリーを紡ぎあげることが悪いのではなくて、またストーリーを信じる人たちが悪いのではなくて、それはこうした社会状況下ではやむにやまれぬものなのだということだろう。

それならば、どうしたらよいのだろうか?

20世紀末へと向かう混沌とした世界で、ストーリーなく生きていくことなどできようか?

鍵になるのは、自分から愛するものを手繰り寄せようとする決意と行動が必要なのだよ、ということのように思える。
決意と行動があれば、そこに自らのストーリーをつくっていくことができ、人が作ったストーリーに依存せずとも済む。

主人公の天吾は数学の予備校講師をしているが、新たに何かを作り上げるものではなく、それは数学という既存のものを伝える伝道師に過ぎない。だからこそ、もうひとつの作家という職業が彼の場合、大事になってくる。自分の本当の物語を紡ぐことで、彼は彼が本当に必要としていたものを手繰りよせることができる。

この1Q84という現代において、僕らがどこかの宗教に依存せずに、生きていく作法が提示されている作品といえるだろう。

だけど、難しいのは、1Q84からさらに25年も進んだ2009においては、さらに価値観は異なってしまっているのかもしれないということだ。
ただ、1Q84という結節点で村上さんが見出した方法論を25年後に適用するのは読者の役目なのかもしれない。
物質主義や資本主義そのものを作ってきたベースが揺らいでしまっていて、違った価値観を必要としている2009の僕たちがつかまなければいけないものは何か、そんなものをここで要求するのは欲張りなんだろう。(キャラメルをもらって、さらにクッキーも欲しいと言ってるようなものだ。)

ただ、そうした問いかけを発することができるのも、この手放しで素晴らしいこの小説があるからこそなのかもしれない。
小説を読むことの素晴らしさを、その濃密な読書時間において、どんな小説にも増して感じ取れる作品である。
| 読書(小説)| 00:43 | comments(0) | trackbacks(0) |
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