b10017「アダム・スミス 『道徳感情論」と『国富論』の世界」 人間の賢明さと弱さのバランスがとれる市場にしよう ☆☆☆
昨年読んだ本を勉強会用として読み返してみた。仕事が忙しくて、結局、勉強会に参加できなかったわけだけど。

アダム・スミスの著作の『道徳感情論』では、人が他社の目を気にして生きていることを喝破して、人からの一目得られ尊敬を得るために、富や地位を得ようとするという。

<<スミスは、私たちは健康なとき、元気なときには、富と地位の優雅さに魅了され、それらの獲得が自分の苦労と懸念のすべてに十分値すると想像し、満足すると論じている。しかしながら、スミスは、富や地位が個人に不変の幸福を与えるとは決して述べていない。>>p.78

幸せとは何の関係もないのに、富や地位を得ようとする、人間の弱さが経済を押し上げる原動力になることもまた否定できないとする。
本来であれば、人はその賢明さによって徳への道を志向すべきであるが、結局財産への道を志向する者が多くなる。人は賢明さと弱さをもつものなのである。しかし、あまりに財産を追って皆が利己主義に走れば、市場のバランスは崩れてしまう。そのため、そこにフェアプレイのできる市場を用意しておくことで、「神の見えざる手」がうまくコントロールして、市場全体としてうまくまわっていくことができる。

先のリーマンショックに端を発した経済不況は、フェアプレイのできる市場がうまく成り立たなくなってしまって、人の弱さが前面に出てしまったことが問題だったのではないか。

もうひとつの『国富論』では、経済が発展していくためには、「分業」と「資本蓄積」が成り立っていくことが重要とする。
ここでは、地主→資本家→労働者といった構造において、資本家が資本を蓄積して、生産活動を行った利益剰余を再度、投資していくサイクルをまわしていくことで、好循環が生まれることを示しているが、利益剰余が貯蓄にまわるまえに、自己消費と税金等の不生産的な労働の雇用にとられてしまう。
この税金が曲者で、恐らく高い法人税の日本もそう言えるのだろうが、そこから国として行わなければならないものに使っていくわけだが、その配分が大きければ大きいほど、資本家の活動は制限されてしまって、経済の成長を阻害してしまうことになる。
日本はバラマキ型の政治になってしまっていて、これが当てはまってしまっているのではないかとおも思った。

また、スミスは過去において、イギリス等の列国の自国の相対的な経済優位性を得るために行った重商主義(植民地と本国の間だけで物をやりとりする)が、全体のパイを広げることを阻害してしまったために、経済成長を阻害していたことを喝破する。
また、政府による優遇や抑制も同様である。
自由な市場において、フェアプレイのできるルールを作った上で、自由に物を交換していくことができるようになれば、世界経済は全体として成長できる。

一方、今の世界は疑心暗鬼にかられて、自国を守ろうとすることで精いっぱいなのではないのかな。

この本は内容が濃く、非常に勉強になる。


1回目の感想(2009年8月)
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| 読書(経済学)| 22:24 | comments(0) | trackbacks(0) |
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