循環と分断について
organic farm暮らしの実験室の茨木君のブログ「ドンキーのファンキー農的日誌」の「めぐりまわり系」が面白かった。
http://yaplog.jp/donkey/archive/258

(引用です)-------
よく時間の捉え方をする時に、昔は時間は回っていた(循環)が、現代は直線だと言ったりする。
確かに、誰が考えたか、過去や未来という観念が存在して、それが飛躍して過去に戻ったり、未来に行ったりそんなSFもあるけど、そんなもの実際には存在しない。農業をやっていれば、季節は廻り廻り、春の次に夏が来、(中略)そしてまた春がやってくるだけだ。

しかし、現代社会の問題を捉える時には循環の反対語は間違いなく「分断」だろう。
循環というのは経済合理性がない。だからいったん全てをバラバラにしてそれぞれのパーツをそれぞれの場所で、それぞれの人が担うようにする。一人の人間が一つの職業をもっているのも分断思考(=経済合理性)。一つの会社が一つの分野を扱っているのもそう。分断は人の思考を低下させる。特定の分野においては詳しくなるが、分断されすぎていて、いちいち全体を見るのが億劫になる。食べ物で言えば添加物とはまさにそういうものだろうと思う。より安い素材を使って商品を作る。すると安い素材はマズイ。だから添加物で味をごまかす。多くの消費者は知らないうちにそういうものを食べて、それがおいしいと感じるようになる。どこで誰がどういう思いで作ったか、という事はそこでは問題にならない。

そういう思想でやっていると社会は全体として疲弊していく気がする(あくまで気ですが)。
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なるほど、循環社会は経済合理性に欠けるから、アダムスミスの言うところの分業をしていくことになるわけですね。
しかし、いったん分業がはじまってしまうと、それぞれの構成要素が集まって、循環していることに思いを馳せることができなくなってしまう。

この前、ツリーハウス・プロジェクトの行きの電車の中で、京都から来たSさんが、国際性やコミュニケーションについて、「それは想像力の問題であって、どれだけ自分の問題として、違う人たちのことを考えられるかが大事で、海外に行ったことのない田舎のおばあちゃんだって、それを持ち合わせていることもあるし、一方で海外に良く行っていても全くその地のことを考えられない人がいるんだ」と話されていて、僕は感銘を受けたわけだけど、どうやら、循環についても同じことが言えるようだ。

分断化されていくものをつなげていくことが、まさに有機であって、有機は物をつなげ、さらにコミュニケーションを繋げていく場になりえるのだ。

しかし、こういう物事の仕組みを看破できる茨木君はすごいなぁ。
それは想像力の問題なのかもしれないけど・・・。

都会暮らしをしているとすべてをパーツで見ていくようになってしまって、それが効率性の名のもとに、さもよいことのように認識されている。
大量生産大量消費大量廃棄でどんどん成長できた時代は環境がそれをどうにか受け止めてくれていたわけだけど、今の社会ではそれが限界になってしまったということなんだろうね。

| 日々の泡| 00:00 | comments(0) | trackbacks(0) |
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