「古屋誠一 メモワール.」展  写真が写真家に過去の事実究明を求めること
 


恵比寿の東京都写真美術館で「古屋誠一 メモワール.」展。
若くして渡欧して、日本料理屋でバイトしながら写真家を目指した写真家。
この展示では、妻クリスティーネの死から出会いまでを遡る形で写真が並べられている。写真を観ていて、違和感が起きる。妻がモデルとはいえ、あまりにこのモデルは笑わなすぎではないか、微笑みもなく、優しさもなく、表情はかたいものが多い。
その背景に、彼女の病があったことが明らかにはなるものの、それでもどうしてだろうという疑問を観る者は受ける。そして、それはこれを撮り続けた写真家自身がもっていた感慨ではなかったか。
彼はそれを解き明かすために、写真と対峙し、その写真を説明する彼女の日記の翻訳まで行っていく。
恐らくそれはとても辛い作業だっただろう。
人は記憶というものを、美化とまではいかなくても、そっととっておきたいものだ。
できれば辛い記憶は忘れたいし、それも淡い色に塗りたいものだ。

だけど、写真家はそれを許せなかったのだろう。
記憶の中から事実だけを見つけ出していこうとする。
写真はその意味で記録であった。

写真の中で、クリスティーネがやわらかな笑いを浮かべている写真が出てきてほっとする。だけど、残酷なことにそれは若いときの写真であった。
写真を撮ること、それを観ていくこと、多分、苦しかっただろうね。


| たまにアート| 20:59 | comments(0) | trackbacks(0) |
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