b11004「雪の練習生」 限定された世界で生きることは不幸せなことではない。 ☆☆☆
三代のシロクマから世界を綴った、なんとも奇想天外なイメージで書かれた本。
異文化の中でのアイデンティティを探ってきた多和田さんでしか書けない。
まぁ、それにしてもよくぞ、ここまでシロクマになりきるものだ。

シロクマとなることは、シロクマに許された限定された情報とそこから紡ぎだす思考のなかで生きることなのだが、そうした限定された中においてもさしてシロクマは不幸せとはならない。

シロクマを異邦人に置き換えると、・・・多分、多和田さんは置き換えながらこの物語を形づくっているのだけど、結局、そういったなかでも人はその限定された生のなかを生きていけるということなのだろう。
人は世界を広げることで幸せになると思うけれど、それは思い違いで、実は限定された世界においても単純に人は生きていける。余計なことなど考えずにね。
そういう意味で異邦人となっていきるということは、とてもシンプルに生きることができるということなのかもしれない。


三代目のクヌートは、情愛を受けた人が亡くなってしまっても、それは情報でしか入ってこなくて、実感を得るものではない。
このクヌートの話では実体と分身(うまい言葉が見つからないけれど)を扱っている。
人はクヌートという実体があるのに、ニュース番組の映像やぬいぐるみに心を委ねようとしている。それがクヌートには不思議な気がする。実体である自分をさしおいて、なぜ人は分身を見ようとするのだろうと。
僕らの生活では、案外、実体である目の前の人を見ずに、テレビ等の違う分身のようなものに思いを馳せたりしているのではないか。
自然界では当たり前だけど、実体しかないから、それと直視して向かい合わないといけない。でも、人間というのはいろいろなメディアやら作ってしまって、身近で大切なものと向かい合えなくなってしまったのではないかということ。

シロクマの視点から物を見てみることで、自分たちの生活が意外に歪んでいたことに気づかされるね。
| 読書(小説)| 23:21 | comments(0) | trackbacks(0) |
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