b11013「官僚の責任」 国家や国民ではなく、省のことを優先する人たち
 原発の問題で、経産省、保安院、東電の所謂「原子力ムラ」の癒着が根底にあるのを知ったわけだが、なぜ、日本の頭脳のトップクラスである官僚が、このような事態に陥ってもなお機能不全に陥っているのか知りたいと思って、この本を手に取った。

筆者の古賀さんは、経産省改革派の官僚で、全く歯に衣着せぬ主張を展開する(おかげで、6月に解雇になったそうだ・・)。
株式会社ならば会社の利益のために奮闘するわけだが、国家公務員も省益のために奮闘していることが明かされる。省益(天下り先確保、自己保身含む)が確保されれば、国民や国家に不利益になっても気にしないというところに大きな問題があるようだ。
そのため「霞が関は人材の墓場である」と古賀さんは喝破する。官僚が省のことだけしか考えない視野狭窄に陥ってしまうために、日本は停滞を余儀なくされている。

そのための仕組みそのものを変える改善策(国民利益に立った人事評価の導入、プロジェクトでの若手育成、給与の右肩上がり抑制等)を古賀さんは並べているのだけれど、惜しいかな、それは省益とは逆のようで解雇されてしまったわけだ。

経済が成長しているときは官僚の堕落も国としてカバーできるのかもしれないが、危機に陥っていたときに自分のことしか考えない官僚しかいなければ、その国がどうなってしまうかは歴史を紐解けば一目瞭然ではないか。
民主党は改革を行うと旗印を掲げながら、何が問題かを見極める仮説を立てる力が足りなくて(つまり勉強不足)で立ちいかなくなったと古賀さんは言う。改革ができる政治家を国会に送り出して、その政治家に対して少しはプレッシャーもかけてみるのが、国民の務めだと思う。
| 読書(その他)| 08:23 | comments(0) | trackbacks(0) |
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