「あわれ彼女は娼婦」 キリスト教的倫理観は現代に何を問えるのか
渋谷Bunkamuraで蜷川幸雄の「あわれ彼女は娼婦」を観劇。
中世イタリアを舞台に、近親相姦をテーマに扱った作品。室内と室外を光を使ってうまく表しているのには驚いた。
宗教と美について学を学んだが故に禁忌的な世界に逆に立ち入ってゆく役を三上博史が演じて、その妹を深津絵里。
最後は宗教にあってはならない血の海のような場面となるのだが、ここが思ったほどには緊張感がなかったかな。
どうしても現代の倫理観と近代のキリスト教的倫理観の間の溝を飛び越えることができなかったようにも思う。
一体、これを観て、現代を生きる僕らに何が跳ね返ってくるかというのが今ひとつわからなかったような気もした。
観る前と観た後で僕の身体の中の組成が変わった気はしなかったということだ。
あるいは芸術作品として観ればいいのかもしれないけれど。
狙いとしては、僕らが根源的にもつ優しさや愛しさというものと憎しみや非人道的な残虐さを共存できるということへの問いかけなのかな。
蜷川作品は形式的なところをたどっていくような作品が多いのかな。他のものも観てみたいと思う。

| 観劇| 22:35 | comments(0) | trackbacks(0) |
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