観劇「かもめ」 理想が高すぎるがゆえに折り合えない現実 ☆☆


赤坂ACTシアターで栗山民也演出の「かもめ」を観劇。

藤原竜也と鹿賀丈史の組み合わせで、僕はお二人の舞台を見るのは初めてだった。
藤原さんは声に深みがあり、身体がしなやかで、さすが新進気鋭という感じ。他の方々も持ち味を十分発揮していたのではないだろうか。
ただ、それだけでは感動に結びつかないのが難しいところ。

そもそも原作のチェーホフのこの戯曲自体を流れる雰囲気が明るいものではなく、未来を夢見る若者の挫折と、大人たちの冷めた諦観を扱っているために、もどかしい感じを受ける。ラストも残酷である。

清々しい希望と理想に燃える若者が現実の壁に阻まれ、絶望してしまうのは痛々しい。
周囲がそうした希望を冷笑してしまうのもどうかと思うのだが、若者自身が現実を見据えきれていないところにも問題がある。
理想と現実の葛藤に苦しむのはありえることだが、それは大人になる過程には必要なものなので、その壁を乗り越えて、自分の立ち位置を決めていくことこそが大事なのではないか。
そういう意味で、トレープレフの恋人ニーナのように、それが残酷であっても、現実と折り合って自分の生き方を見出していくのが本来あるべき姿なのだが、トレープレフはそれが見つけられない。

この作品の根幹にある理想と現実との葛藤というテーマは、チェーホフの生きていたこの時代特有のものだろうか。
また、作品を覆っている、どんよりとした鬱屈感や諦観もこの時代特有なのだろうか。
もう少し時代背景やチェーホフの思想にあたってみないとわからないところもある。

いずれにしても、未来に対して悲観的になったら悲劇しか待っていない。トレープレフは若々しい希望の象徴である「かもめ」を自ら撃ち落してしまっているのだからどうしようもない。最後に彼の机の上に「かもめ」の剥製が飾られてしまって、希望が命をもたないものに成り果ててしまったのは哀しいことだ。
| 観劇| 21:08 | comments(0) | trackbacks(0) |
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