2008年に観た展示ベスト
今年はアートは案外観たんじゃないかな。
たぶん、左脳と右脳のバランスをとるために通ってたようにも思うよ。
そして、年末にはオルセーが待っているのでした。楽しみ。

1 アンドリュー・ワイエス展 bunkamura
2 東山魁夷展 東京国立近代美術館
3 ヴィジョンズ・オブ・アメリカ展 東京都写真美術館
4 秋野不矩展 神奈川県立近代美術館葉山
5 ジョン・エヴァレット・ミレイ展 bunkamura
6 大岩オスカール展 東京都現代美術館
番外 ピカソ美術館(バルセロナ)
| たまにアート| 21:56 | comments(0) | trackbacks(0) |

「アンドリュー・ワイエス展」 風景に仮託された心象


授業の後、予習で寝不足気味の頭だったけれど、どうしても観ておきたかった展覧会を観にいった。

渋谷のBunkamuraで「アンドリュー・ワイエス展」
http://www.bunkamura.co.jp/museum/lineup/08_wyeth/index.html

ワイエスの作品をきちんと見るのは初めて。
この展示では、副題として「創造への道程」とつけられていて、最終的なテンペラ画になるまでに描かれたスケッチや水彩画を並べて、対比する形で見せているのが面白い。
ワイエスは、風景に自己の心象を投影して、それを絵としているので、絵を何度か描いていくうちに、風景はより心象を強めたものになっていく。

特にお世話になったオルソンさんが亡くなったときの煙突の絵は、描いているうちにワイエス自身の心証が移り変わっていくのがわかる。煙突の絵は、いつもその下のキッチンにいたオルソンさんの不在に対しての心の揺らぎを表現しているものだと思うけれども、はじめ風景をそのまま描いたいたのに、最後には背景に水をたたえた入り江が描かれる。
ここでワイエスはこの不在に対して平安を得たのではないかとも思った。

同じものを描いても、扉が開くか閉じるかすれば、それは全く違うイメージとなる。
ワイエスの素朴な絵を描く過程においては、そうしたものを自分のイメージと合わせる作業を行っていたと考えることができる。

また、古いバケツや農機具のようなものを描いているけれど、描いている風景の奥底に、ストーリーが内在しているのもすごい。
それが絵を単に二次元にとどまらせず、やむにやまれぬようなイマジネーションを観ている人にも与えているように思った。
| たまにアート| 10:12 | comments(0) | trackbacks(0) |

「蜷川実花展 ―地上の花、天上の色―」 鮮やかな色に耽溺する


授業の後、初台のオペラシティで「蜷川実花展 ―地上の花、天上の色―」。

若い女性ばかりで来ている人も華やかであれば、展示はもっと華やか。
赤青黄の鮮やかな色が、会場中に氾濫していた。
僕にはそれが色の洪水のように思えた。
特に金魚の部屋は中心に映像が流れていて、それを見ていると、僕は色の中に陶酔したまま溺れてしまうような感覚に陥った。

蜷川さんの感覚器はいったいどうなっているんだろう。
ここまで色の刺激があると、まるで常に楽園の中にでもいるような感覚ではないかな。
地上の花、天上の色、とはうまいタイトルをつけたものだ。

| たまにアート| 22:44 | comments(0) | trackbacks(0) |

「ヴィルヘルム・ハンマースホイ展」 無機的な家の中で追求された絵 


週末働いた分の振替休みということで朝から、国立西洋美術館で「ヴィルヘルム・ハンマースホイ展」へ。
上野に行くのは久しぶりで不思議な感慨。

ハンマースホイは、ほとんどの絵が自宅で妻の後姿などを描いている。その後姿に微妙な距離感があり、絵も無機的なので、緊張感がある。
ハンマースホイが考えた理想の絵ではあったろうが、この家庭からは幸せな空気が伝わってこない。
そうした寂しさややるせなさが感じられた。
家の中は閉塞しており、扉は家の外に開かれていかない。
ハンマースホイは真の芸術家ということなのかもしれないけれど、ちょっと僕には寂しいなと思ったよ。
あるいは、小説をひとりで書いてた時分に、これを見たら、もっと共感できたかもしれない。


常設展もあわせてみたが、モネの絵が充実して、鑑賞しがいがあった。
マネの絵も面白いものが2点。
けっこう常設展って穴場なのね。
| たまにアート| 20:33 | comments(0) | trackbacks(0) |

「オン・ユア・ボディ」展


東京都写真美術館で「オン・ユア・ボディ」展。
日本の若手写真家の写真を集めた展示だったが、力作ぞろい。
ポスターを飾っている志賀理江子さんの世界の切り取り方には圧倒されました。なんとも、不思議な写真が多くて、思わず、一枚一枚の前で凝視せざるをえませんでした。
| たまにアート| 23:20 | comments(0) | trackbacks(0) |

「ヴィジョンズ・オブ・アメリカ」展 戦後アメリカ写真の集結


東京都写真美術館で「ヴィジョンズ・オブ・アメリカ」展。
1957年から1987年にかけてのアメリカ世相を代表する写真を集めた展示でかなり見ごたえがあった。
「路上」、「砂漠」、「戦場」、「家」、「メディア」の5つのカテゴリーで展示されていたが、有名な写真家の写真が一堂に会した感じでかなり見ごたてがあった。奈良高一高の写真やシンディーシャーマンの写真などいまさらながら素晴らしかった。砂漠を舞台にした篠山紀信もよかったし、すべての写真がそれぞれメッセージをもっていました。
ガツンときた写真展示でした。
| たまにアート| 23:13 | comments(0) | trackbacks(0) |

「ピサロ展」 心穏やかにする印象派


大丸で行われていたピサロ展。
ピサロ本人の絵は少なかったものの、印象派の光の彩が織りなす淡色の絵を堪能した。
印象派の絵を見ていると、心が穏やかになる。
特にピサロの絵は農村とそこに働く人たちの姿が垣間見えて、ほっとする。
| たまにアート| 19:42 | comments(0) | trackbacks(0) |

「アネット・メサジェ:聖と俗の使者たち」展


森美術館で「アネット・メサジェ:聖と俗の使者たち」展。
大学院の授業の後で行ったのだが、予習で睡眠不足だったせいなのか、感性が鈍っているのか、いまひとつピンとこなかった。
妻に後で話したところ、普段血をみているかそうでないかということで、女性向けなのではないかということ。

肉体が顔のないパーツとして、ぬいぐるみなどに覆われているものが多かった。
僕は美術館でそうした展示を観たことがあとでどのように人に影響を与えるんだろうと小説の着想でもするかのように、まったく関係のないことをぼんやりと考えていた。
| たまにアート| 00:51 | comments(0) | trackbacks(0) |

「アヴァンギャルド・チャイナ」展  時代の変化と大国ゆえの自己主張強きアートたち


国立新美術館で「アヴァンギャルド・チャイナ」展。

天安門事件前から現在までの20年間ほどの中国アートを追った展覧会。
既に世界で先行しているアート(特にデシャン)を中国が追いかけ、換骨奪胎して噛み砕いて自分たちのアートの歴史に組み込んでいったという印象と、共産主義からグローバリゼーションによる資本主義へのすさまじい速さの時代の流れに迷い、自己を主張する姿が強く印象に残った。

表現としては力強いものを感じたのだが、人が多い大国ゆえの自己主張の強さになんだか辟易したのも事実かなぁ。つまりはそうやって観る者を圧倒することもアートなんだろうけれど。

| たまにアート| 00:17 | comments(0) | trackbacks(0) |

「米田知子展―終わりは始まり」 歴史的な意味が場所に与えられること


原美術館で「米田知子展―終わりは始まり」を観てきた。

タイトルが僕を動かすのに十分だったのだが、ちょっと期待が大きすぎたか。
原美術館はこじんまりとしているので、どうしても展示数に制限がでてきてしまう。
その制限の中で、感動を味わうには、自分の体験と作者の体験がぶつからないといけない。

歴史的な場所は時空を超えてそこに遍在しており、歴史的な事件が起きて、場所に意味付けがなされることによって、風景の価値まで変わる(変わるのだろうか)ということが作者の問題意識のように思ったのだが、僕にはその感動が正直共有できなかった。
あるいは違った感動があるのかもしれなかったが僕にはわからなかった。

僕が興味があるのがとても個人的な事柄(それは普遍的にとらえることのできる個人的な事柄ということでもよいのだけど)すぎて、大きな歴史の中の出来事にそこまで感動をつかむことができないからかもしれない。
| たまにアート| 22:49 | comments(0) | trackbacks(0) |
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