2008年に読んだ小説ベスト
小説は全然読んでなくって涙。
僕の小説の神様は午睡中であることだよ。
大学院修了したら(あと1年以上)、河出書房の世界文学全集再チャレンジしますよ。

1 キャッチャー・イン・ザ・ライ(サリンジャー)*再読
2 オン・ザ・ロード(ケルアック)
3 存在の耐えられない軽さ(ミラン・クンデラ)
| 読書(小説)| 21:46 | comments(0) | trackbacks(0) |

b08082「元職員」 白日のもとに曝け出される嘘 ☆☆
元職員
元職員
吉田 修一

日本では地方の公社職員としてポーカーフェイスで働いて、嘘を隠し通しているのに、バンコク旅行の数日間のうちに、それが白日にさらけだされてく。
非日常の世界に身をおいたときに、隠し通していたものが、ぬくっと体をもたげようとしてくる。
そのことへの葛藤と開き直り。
すべては自分のいいように解釈して、嫌なことに目をつぶり耳をふさげば、自分にとっては生きやすいのだろう。
いや、そうであってはならない。

そういう押し問答がこの小説の中で続いている。。

だけど、主人公は最後に傲慢なまでに開き直る。なんと、罪深いことか。
| 読書(小説)| 18:32 | comments(0) | trackbacks(0) |

b08068「キャッチャー・イン・ザ・ライ」 世界は清らかではないよ、でも美しいはずだよ。 ☆☆☆
キャッチャー・イン・ザ・ライ
キャッチャー・イン・ザ・ライ
J.D.サリンジャー,村上 春樹


掛け値なしに素晴らしい小説。ぼくはサリンジャーにぞっこんだな。
ホールデンは弱冠16歳にして、世界の構造がわかってしまっている。
清々しい理想があるから、大人の世界の矮小さに我慢がならないんだよね。
どんなに偉そうなことを言っていても、結局、それは利己的でしかないってことに嫌悪感と幻滅を覚えているんだよ。

NYのセントラルパークのアヒルの比喩は、そうした清々しい心がどこに行っちゃうんだろうということだよね。
あるいはそういうものとどうやって決別してみんな生きていくんだろうっていう苦しい問いかけ。
冬の間に氷が張ったらアヒルはどこにいくんだろう。
自分は氷の中にいるしかないのに!

彼が愛するのは、汚れのない清らかな心。
亡き弟であり、素直な妹であり、尼さんだったりね。

ミスタ・アントリーニのひもとくシュテーケルなる精神学者の言葉のとおりだろう。
『未成熟なるもののしるしとは、大義のために高貴なる死を求めることだ。その一方で、成熟したもののしるしとは、大義のために卑しく生きることを求めることだ』


なんだか、この小説は実は僕の好きな漱石の「それから」とも似ている。
代助はホールデンとは違って現実世界と折り合いをつけて生きている。
だけど、ホールデンは苦しい。そもそもその現実世界との折り合いがうまくいかないからだ。

世界にどこかで幻滅するしかない。
でも、それでも世界は美しいってわかるんだよ。きっと。


| 読書(小説)| 23:23 | comments(0) | trackbacks(0) |

b08056「さよなら渓谷」 面白半分に弱者を追い詰めていく世界の矛盾 ☆☆☆
さよなら渓谷
さよなら渓谷
吉田 修一

タイトルからだと穏やかな小説を想像してしまうが、実際にはもっと陰湿なテーマを扱っている。
以前の吉田さんの作品「悪人」(→感想20070812)は、罪を犯した人だけが悪人ではなく、そこに追い込んだ人にもそれを生み出している世間もまた悪人なのだろう、ということが織り込まれていたと思う。
この小説ではそれがもっと掘り下げられてシンプルになった感じがする。
小説では、加害者がいとも簡単に許されて、被害者が世間から後ろ指を指されてしまって一生背負い込んで生きていかなければならないという矛盾を提示している。人を苦しませるのは罪そのもの以上に噂や風評といったことを面白半分に流し、人を貶めようとする世間の力なのだということを教えてくれる。人は結託することで、個人の弱さを隠して、パワーをもって誰かを叩きのめす。結託して世論を形成しようとする者に限って、一人では何もできなかったりする。

第三者であるのにも関わらず、人を徹底的に追い詰めて逃げ場をなくしていく多数の論理に支配された力に対して、どうして対抗すればよいのか。
これは最近の星野智幸さんのテーマとも近くなっているように思う。
星野さんの場合、政治や信条といったものが絡み、顔の見えない大衆の力にどう抗していくかに力点を置いているのに対して、吉田さんの興味はそれに直面していく人の内面心理に向かっているように思う。
この小説では必ずしも解決策が見出されたわけではないので、今後の吉田さんの小説の中でそれがどのように打開されていくのかに興味がある。

また、もう一つ扱っていたのが贖罪だったように思う。
罪を贖うために、自分の人生を投げ捨てようという姿勢がそこにあったが、まだこの贖罪の意識は個人的な行動に終始しており、世界で起きている仕組みやストーリーを変える力に至っていない。
そういった世界を変えるということが果たして可能なのかはわからないけれど、そうした方向に今後のテーマは向かっていくのかもしれない。
| 読書(小説)| 23:05 | comments(2) | trackbacks(1) |

b08055「存在の耐えられない軽さ」 選ぶことは捨てること ☆☆☆
存在の耐えられない軽さ (世界文学全集 1-3)
存在の耐えられない軽さ (世界文学全集 1-3)
ミラン・クンデラ,西永 良成

しばらく読むのを諦めていたのだけど、まとまった時間ができたこともあって、この週末で一挙に読んでみた。

クンデラの扱うテーマは大きく、チェコの歴史(プラハの春と共産主義の反動)の大きなうねりがまずあって、そこに翻弄される登場人物たちを描いている。体制への強い怒りがある中で、どこに矛先を向けるべきなのか、自己の思想をどこまで尊重するべきなのか、ということがまずある。そして、どう生きていくべきなのか、ということがある。
どのように生きるかかというテーマは、この時代背景のために増幅している。
今の日本ではとてもじゃないけれど、こうしたテーマを描くことはできないだろう。なぜなら、僕らは何にも抑制されても拘束されてもいない。常に自由であり、自由を束縛しているものがあるならば、それは自分でしかないからだ。

チェコでは、ある時点での生き方の選択がその後の将来に決定的なものにしてしまう。亡命するにせよ、国に戻るにせよ、体制に賛同しても反対しても。
いったん決断したら後戻りはきかない。だからこそ、クンデラは冒頭からニーチェの永劫回帰に異を唱える。何度も同じことが繰り返されるって、そんなことはありえない!って。

主人公のトマーシュの生き方の決断は不思議だ。現代の日本人のような名誉や職業やお金やあるいは社会的意義とは違った形で選択する。ひとつは愛であり、もうひとつは自分の生き方は自分で決めるのだし自分の思想は自分が形成するものであるという独立主義的な信条である。
名誉ある外科医を彼は捨てる、祖国を捨てる、安寧を捨てる、女性遍歴生活を捨てる・・・といった調子だ。
それによって彼の生き方はシンプルに研ぎ澄まされていくようでもある。
そうした選択を行えることがこの人物の魅力なのだろう。

この小説を読むことで、僕らは自分の人生についても改めて考え直さなければならなくなる。一体僕らは僕はどれだけの信条をもって生きているだろうか。どれだけ生や性を包容して生きているだろうかって。
こういう大きなテーマを扱った小説はそうは読めないです。
| 読書(小説)| 23:27 | comments(0) | trackbacks(0) |

b08053「静かな爆弾」 存在が当たり前だと思ったとき、それは静かに爆発して失われるだろう ☆☆☆
静かな爆弾
静かな爆弾
吉田 修一

人は自分の世界と人の世界が同じだと常に誤認識して生きている。
物理的にも、心理的にも。
あるときから、今あるものがここからなくなる可能性というものを疑ってかからなくなる。
そしてなくなったときに、その大きさに気づくことがある。
自分の世界と人の世界が必ずしも同じものではなかったことに気づくことがある。

主人公の早川俊平が仕事で追っているアフガニスタンのバーミヤンの遺跡も同じだったはずだ。決してその仏像遺跡は現地の人にとっても、世界の人にとっても、なくなるはずのものではなかった。
バーミヤンじゃなくても、911のツインタワーだってなくなるものではなかった。
でもなくなった。失われた。
早川俊平が世界の人に伝えたかったのは、物が失われるのは僕らがそれに無関心になるからだってことだろう。

しかし、このメッセージを伝えようとした彼自身が、恋人との関係においてそうであったことを自覚する。
物だけでなく、人間関係においても、それを当たり前のこととして、無関心になってしまえば、失われる。

バーミヤンの遺跡も恋人も、音のない静かな世界にあった。
もっと理解しようと思えば理解できた。
でも、世界の見方が平板になって、その存在に感謝できなくなったとき、それは静かに爆発していくのだろう。

小説世界に出てくる事物や人の見事な配置と対比。
吉田さんのその構成力に驚かされ、その主題の深さに考えることしばし。

この僕は、今の世界を当たり前のものとして受けとめていないか。
当たり前のものだと思って、無関心になったりしていないか?
そうした自問をせずにいられない。
| 読書(小説)| 00:16 | comments(0) | trackbacks(0) |

b08011「楽園への道」 社会への反骨心と理想への希求によって生み出されたもの ☆☆
マリオ・バルガス=リョサの「楽園への道」
世界文学全集-02巻もいよいよ終盤。

もはや人生の灯火が消えそうなところまで年老いて、ゴーギャンはゴッホとの共同生活を思い出す。
理想に燃えた共同生活だったが、結局芸術観の違いやゴッホの依存症的な頼り方に息が詰まってゴーギャンは共同生活を打ち切る。
最後にゴッホは、ゴーギャンを刺そうとするもできずに、代わりに自分の耳を切り取って、そのまま精神錯乱となってしまう。
友情がそうした顛末となったことに、ゴーギャンは心を痛めたわけで、彼がパリを離れたのは、むろんエキゾティックへの傾倒もあるだろうが、ゴッホへの疚しさや辛さからの逃避だったところも大きいだろう。

ゴーギャンの人生は常に理想を追い求めていて、それは偏執的な理想論者のようなゴッホにも似ているのだが、結局それは現実(妻、家族、パリの社会)といったものからの逃避であった。
その逃避の中で、見出す希望や悲嘆が彼の芸術を高めているようにも思う。当時は絶対的であったはずのキリスト教の思想にも反逆し、時に厭世的になり、プリミティブなものだけに回帰しようという考え方もそうしたところからきているように思える。

そして、芸術魂を支えた反骨心は、祖母のフローラの資本家たちへの反骨心と似ているものであることに気づく。これは後発的に表出した性格のようでありながら、中に流れる血にもよるものなのだ。
そしてその血の煮えくりが生まれた場所こそ、バルガス・リョサのペルーなのだろう。




楽園への道 (世界文学全集 1-2) (世界文学全集 1-2)
楽園への道 (世界文学全集 1-2) (世界文学全集 1-2)
マリオ・バルガス=リョサ, 田村さと子
| 読書(小説)| 18:47 | comments(0) | trackbacks(0) |

ゴーギャンの時代と現代の日本を比べてみれば
文学全集第2巻のバルガス・リョサの「楽園への道」をちびちびと読んでいる。
まるで大切なウイスキーを毎晩少しずつ飲んでいる工場労働者みたいな気分で。

ストーリーは画家ゴーギャンと労働組合の活動家フローラという時空を隔てた二人の話を、バトンタッチ形式で進めていく。
まったく違った生き方をしているのだが、それぞれのストーリーが交互に進んでいくことにさほど違和感がないのも不思議だ。

ゴーギャンといえば、現代では名高い美術館でありがたく見る絵画の一つなのだけど、この時代のゴーギャンは絵がなかなか売れなくて、お金はないけれど、芸術魂を持ち歩いている芸術家として描かれている。
気の狂ったオランダ人と形容されているゴッホとさほど変わらないレベルの変人の類に入ってしまっていて、彼も自分の絵が後世こんなにありがたみがでてくるなんて思っていなかったのかもしれないと思わせる。

インスピレーションのありかたが面白く、自分の中に何か強烈なものが飛び込んでくると絵筆をとりたくていても立ってもいられなくなる。
ゴーギャンだって、インスピレーションがあるからこそ、絵が描けていたのだというのは何だか不思議なことだ。

フローラの話では、人々が理想について議論をすることを好むところがあるのに少し驚かされる。今の日本だったら、誰もこんな理想を語ったりしない。閉塞感という意味ではこのフローラの時代のほうが格差が歴然とあって、労働者はひたすらこき使われていることへの絶望感が強い。それなのに、人々の奥底に強さを感じる。それは二世代後のゴーギャンにも言えることだ。生き抜こうという不屈の力(岡本太郎だったら、それを「もりもりと湧いてくる力」と形容するだろう)を感じとることができる。

どうして今の日本ではそういった理想を語りあうこと、生き抜こうとすることへの欲求が弱くなってしまっているのだろう。
そういう気力や覇気の弱さと言うものが、日本という国の現在のアクセルを踏む力であるのならば、ちょっと大変かもしれないなとも思ってくる。

松本の珈琲店の斉藤さんのブログhttp://blog.livedoor.jp/takahashikamekichi/archives/51893086.htmlでは、以下のように書かれていました。確かにですね。

東京のマスコミ業界は、これから地盤沈下してゆくと思います。私は、昔ほどコカ・コーラやペプシのCMを目にしなくなりました。中国の広告を見ると、大衆消費の勢いの違いを痛感します。若い人たちが飛んだり跳ねたりしている映像が多い。日本では、薬や保険など高齢者むけの広告が増え、深夜になると通販ばかりのようで、若い飲食店の従業員などは「家に帰っても見る番組がない」と言っています。グローバルな企業だって、わざわざ高い費用を使って伸びない市場で広告を打つより、しっかり消費が伸びる新興国に力を入れるのが当然の判断です。雑誌やテレビが連動し、有名なタレントが使われてた缶コーヒーの大々的なキャンペーンも、最近は目立たなくなってきたと感じます。

| 読書(小説)| 00:59 | comments(0) | trackbacks(0) |

b08005「オン・ザ・ロード」 ジグザグに疾走するのがいいね ☆☆☆
ケルアックの「オン・ザ・ロード」(世界文学全集-01)もいよいよ最後の旅。

日常と平凡と停滞を嫌って、非日常と逸脱と前進(それもスピードに乗ったやつ)を好む主人公サルと、半ば狂った友人ディーンとの旅を描いた作品。
序盤から疾走感があり、言葉が音楽のようにぶっとび、どんどん前に向かって、前にあった景色なんかあっという間に視界から消えていく。

どこかに落ち着いてマイホームを構えることが夢であった時代に、そんなの全然嬉しくないさ、って、ケルアックは笑ってみせるわけだ。

でも、いつかは根無し草的な生活に疲れて、けじめをつけて、自ら自由を失って旅をやめてしまう。
そんな諦めにも似た感覚がいつの間にか覆ってくる不安を吹き飛ばそうとしながら、エネルギーのある限り、前進しようとする姿が素敵だ。

サルがNYでディーンと別れるシーン
<<こういうスナップ写真をぼくらの子どもたちはいつの日か不思議そうにながめて、親たちはなにごともなくきちんと、写真に収まるような人生を過ごし、朝起きると胸を張って人生の歩道を歩んでいったのだと考えるだろう、とぼくは思った。ぼくらのじっさいの人生が、じっさいの夜が、その地獄が、意味のない悪夢のロードがボロボロの狂気と騒乱でいっぱいだったとは夢にも考えないのだろう。なにごとも、内側は終わりもなく始まりもなく、空っぽだ。無知がさまざまな悲しい形になる。「グッバイ、グッバイ」ディーンは長く延びた赤い夕暮れのなかを歩いていった。>> p.355


オン・ザ・ロード (世界文学全集 1-1) (世界文学全集 1-1)
オン・ザ・ロード (世界文学全集 1-1) (世界文学全集 1-1)
ジャック・ケルアック, 青山南
| 読書(小説)| 00:45 | comments(0) | trackbacks(0) |

b08004「それから」 ☆☆☆
漱石の中で僕が好きな「それから」を旅行中に読み返した。

今回は、職業と芸術という二面性のせめぎ合い以上に、自分の心を偽ることと正直になることの難しさをひしひし感じました。


それから
それから
夏目 漱石
| 読書(小説)| 23:56 | comments(0) | trackbacks(0) |
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