b09023「世界経済はこう変わる」 ☆☆☆
世界経済はこう変わる (光文社新書)
世界経済はこう変わる (光文社新書)
小幡績,神谷秀樹

現在の経済不況がどうなっていくか、そうしてその後の世界はどうなっていくのか、といったことを二人で語りあっている。

今回のサブプライムの問題は、投資銀行を始めとする金融業界が他人のお金を使ってリスクを冒してヘッジファンドのような取引を極限までやってしまったこと、またグラス・スティーガル法の銀行業と証券業の切り分けを廃止してしまったことなどが拍車をかけたことが拍車をかけたようです。

今後さらに実体経済の危機が起こり、政府の財政破綻と通貨の価値が落ちていくといったプロセスを予想しています。
特にこれまで世界の盟主であったアメリカには悲観的な予想をしています。

小幡<<アメリカの不利な点は、経済が外需依存で立ち直る自律的なメカニズムが働かないところにあります。>>p.46

神谷<<借金をして買うというライフスタイルが崩壊して、そのぶんの消費が落ち込んだわけだから、それに見合うように設備投資が処理され、身の丈にあったところまで下りることしか方法はありません。>>p.47

小幡<<人口が多いところは、経済成長するどころか、基盤となる社会が崩壊してしまうのではないかという恐れが現実味を帯びます。たとえば、アメリカもその一つの例です>>p.49

神谷<<私が主張するのは、「信用の回復と経済の健全性の回復」です>>


今後の経済のあり方については以下のように述べている。
地域に密着した身の丈の実感のある金融の形になると確かによいですよね。

神谷<<アメリカでは、すでにリ・リージョナライズという形で、それがはじまっています(略)
ある地方で、その土地の人が預金をし、そのお金を、その土地の人に貸していく。そんな形の銀行のほうがつぶれない。立派な銀行を作っていくモデルになると思います。>>





| 読書(経済学)| 23:11 | comments(0) | trackbacks(0) |

b09020「なぜ世界は不況に陥ったのか」 世界不況の構造を解き明かしたテキスト ☆☆☆
なぜ世界は不況に陥ったのか 集中講義・金融危機と経済学
なぜ世界は不況に陥ったのか 集中講義・金融危機と経済学
池尾 和人,池田 信夫


大学院の友人たちと自主ゼミ的に経済学の基礎を学ぶために読むことにした本。
本の主旨は経済学の基礎を説明するテキストではなく、本のタイトルどおり今回の世界不況の構造について説明しているテキストであった。

不況の一番の原因は、アメリカ経済の成長に対するアメリカ国内外の人々の過信が、市場経済に歪を起こしてしまい、そのバブル的なものの信用が崩れてしまったことによるようだ。

<<一九九七年のアジア金融危機以降、東アジア諸国も外貨準備に対する予備的需要を高め、経常収支の黒字を出すようになります。その結果、世界のほとんどの国が経常収支黒字で、赤字なのはアメリカだけだという状況になり、グローバルインバランス(国際的な経常収支の不均衡)が急激に拡大するに至りました。>>p.10

また、ここに一九八五年以降、アメリカはスタグフレーション(インフレ&景気の低迷)を脱却して、二十年間もグレートモデレーション(大平穏期)が続き、
<<人々のリスクに対する感度は鈍くなり、高をくくるようになった>>ところが背景にあったようだ。

さらには、金融ビジネスを再活性化させた投資銀行が成功して、肥大化するとともに、新たなビジネスモデルとしてヘッジファンド化して、高いレバレッジを追求したことも一因となっていた。

さらにはアメリカ政府のアメリカンドリームのための住宅政策がサブプライムローン問題を助長したことも一因となっている。


この金融危機に対応するために、アダムスミス以来の市場重視の古典派的な議論を踏まえた上で、一昔前的な(市場を政府がコントロールするという)ケインズ的な要素を組み入れたモデルが統一的なフレームワークとして受け入れられているそうです。
つまり、量的緩和とリスク資産の購入ということなるようです。だけど、インフレ・ターゲット政策はそれを支持していたクルーグマンも否定して政策化されることはないようです。

今後、グローバルインバランスが解消されていくと、アメリカの赤字が減り、日本の黒字(米債)を減らすことになると、円高が続くことになり、製造業の北米市場輸出での経済成長は日本にとって難しくなっていきます。

そのため、新たな産業を生み出していく必要があり、そのためには起業が必要となり、雇用を流動化させて成長産業に人を動かしていく必要があるそうです。
(従来の公共投資は生産性の低い土建にお金を放出するので、この逆の方向になります。つまり、道路や空港を国のお金で作る時代は早く終わらせないといけないということになります。)


アメリカの成長への世界中の妄想がアメリカを実体経済以上に肥大化させてしまったというのは、宮崎駿の「千と千尋の神隠し」に出てきた欲望で膨らんでいき凶暴になっていくカオナシを思い起こさせます。

この対談の中で、二人は市場経済を否定していません。むしろ、市場経済を健全化させる施策(情報の非対称化といった問題に対応するための「情報インフラの再構築」、投資銀行?が暴走するような「エージェンシー問題のコントロール」)が必要だとしています。
日本の現在のバラマキ政策は、経済学では既に相手にされていないケインズのやり方で対症療法的にやっていけば、原因も解決できるだろうという時代錯誤的なものであり、政策担当者(官僚、政治家)は新しい経済理論を学ぶべきであり、そのためにこの本を書いたようだ。
| 読書(経済学)| 23:29 | comments(0) | trackbacks(0) |

b09010「ハイエク 知識社会の自由主義」 自生的な秩序を尊ぶ先見性のある経済・思想家ハイエク ☆☆☆
ハイエク 知識社会の自由主義 (PHP新書)
ハイエク 知識社会の自由主義 (PHP新書)
池田 信夫

久し振りに、経済や思想についての本を読んでみた。(たまに読むと面白いものですね。)
筆者の池田氏は経済を大学で学び、NHKを経て、大学の教職につかれていて、ブロガーとしても異彩を放っている方だ。
http://blog.goo.ne.jp/ikedanobuo

内容も経済と思想、ネットワーク、生物学まで入り込み、学問境界を苦にせずに、ハイエクの思想を紹介する。
池田氏と同様に、ハイエクもまた経済学にとらわれず、思想や心理学といった広いフィールドを相手にしていたようだ。ひとつの領域にとらわれないからこそ、先見性のある新しい概念を打ち立てることができたのかもしれない。

ハイエクの経済への考え方は、政府等がコントロールするものではなくて、市場経済(市場の自生的秩序)に任せることに重点をおくものであり、公共事業を起こして雇用と消費をコントロールしようとするケインズの考えやマルクスの社会主義の考えには抗するものだった。(ハイエクの活躍した時代にはケインズ理論や社会主義がそれなりにもてはやされていた時代だったから、そこに対抗するというのはすごいことですよね。)
ハイエクや同系列のフリードマンの市場経済主義的な考えは、イギリスのサッチャー政権やレーガン政権での小さな政府志向へとつながり、大きな成果があった。また、日本の構造改革もこの流れの先にあるものだと思う。

ハイエクの自生的秩序が生まれるという考え方は、ニューロンの考え方にも似ているようだ。より使用するニューロンが強化されるという考え方だ。これはハイエクの亡くなった1992年以降に興隆したインターネットのルールと近いと筆者は指摘する。つまり、先にルールがあるのでなく、ルールやらコードやらが日々更新されていくという形態である。また、そうしたインターネットのような技術開発はフラットな状態から個人レベルで進んでいくものであり、国が音頭をとってプロジェクトを起こすのは時代錯誤であると文部科学省や経済産業省の大プロジェクトを批判している。

ハイエクは大変先見性のある経済学者であり思想家であり、現実社会が彼の思想に追いついてきたと筆者は言う。そのため、21世紀にはいって、ハイエクの思想はより振り返られることになるだろうということだ。ハイエクの入門編としては最適な本なのではないでしょうか。

個人的には、自生的秩序の進化のところで、ドーキンスの利己的遺伝子やハミルトンの思想が、必ずしも当てはまらない例があること(細菌が利己的に繁殖すると宿主自体が倒れてしまう)をあげて、あるところでは利他的である必要性を説いているのが興味深かった。また、定住した部族社会では利他主義的な行動をとらないと生き残れないということがあって、そこから離脱する利己的な者へは冷たいといった例から、自生的秩序の形成は利他的なものなのではないかということを示唆していた。
これは利他的な市民主義や、あるいは社会起業家的なモデルへの発展を意味しているようにも思えて、興味深かった。(僕は思想家でないので、それ以上に思考を広げようとは思わないけれどね。)

まま、読み違えている箇所もあるかもしれないけれど、たまに別ジャンルの本を読むと、脳が活性化しますね。


| 読書(経済学)| 10:30 | comments(0) | trackbacks(1) |

b08070「暴走する資本主義」 消費者や投資家の僕が勝ると、資本主義は市民としての僕を轢き殺すだろう ☆☆☆
暴走する資本主義
暴走する資本主義
ロバート ライシュ,雨宮 寛,今井 章子

超資本主義が市民主義を凌駕する時代になったことを告げた本。読み進めるうちに、この世界の構造というものが否応なく企業の論理で動いてしまっていることをはっきりと気づかされ、それに対抗できるベクトルがないことに胸を痛めた。

僕らは、この資本主義の中で生きていく上で市民であるのと同時に、企業の商品やサービスを購入する消費者であり、また企業の株をもつ投資家の側面をもっている。
僕らは、市民としての生活が高めていけることを望んでいる一方で、消費者としては質の良い物を便利に安く買いたいと考えており、株主としては企業が株主価値を上げて株価が上がったり(キャピタルゲイン)、配当が上がったり(インカムゲイン)することを望んでいる。

僕らは市民として例えば二酸化炭素を減らそうと言い、心からそれを望んでいる。そして、そうした環境活動に熱心な企業の商品を応援したいという気持ちをもっている。
だけど、消費者としての僕らは大抵の場合、市民としての価値観を超えてしまう。スーパーで環境活動に熱心な企業の商品と同じ質で、かつ安い商品があれば、さほど迷うことなく安い商品を買ってしまう。
つまり、その瞬間に、消費者としての僕>市民としての僕、という不等号がついてしまうわけだ。同様に、株主としての僕>市民としての僕、という関係も成り立ちやすい。
そして、そのとき、企業は間違いなく、企業の利益に反する行為はやめてしまう。つまり、コストを削減して(環境活動コストを削減して)価格を安くしようとするだろう。
企業は株主価値を最大化することが至上命題になっているからだ。

そして厄介なことは、企業は株主価値を最大化して、消費者に支持される商品やサービスを提供するために、ロビー活動を通して、政治にまで影響を与えるってことなんだ。

企業の論理が恐ろしいことに世界を動かしていくってことになる。

僕が心を痛めている都市景観の問題にせよ、何の問題にせよ、その裏にあるのは僕が市民としての僕ではなく消費者や投資家の僕を選んだことの結果による因果応報ということなのだ。

なんともやっかいな時代になったものだ。
ならば、市民としての利益が優先される世界に引き戻すには、つまり僕らが価値観を変えて、市民としての僕らを少しでも優先していくことが大事なのだろう。それには、価値観の在り方自体を変える必要がある。パラダイム変換が必要になる。
その上で、法律による網をかけていく必要がでてくるってわけだ。
規制緩和に僕はこれまで支持していたけれど、実は規制緩和というのは資本主義を暴走化させえるものでもあるってことだ。
だからといって資本主義すべてに網をかけてしまえば、経済活動が低調になってしまって、市民としての利益はなくなってしまう。

二律背反的な価値観について、極めて難しいけれど、バランスをとっていくことが大事というわけなのだろう。
| 読書(経済学)| 01:24 | comments(0) | trackbacks(0) |

b08062「閉塞経済」 規制緩和への反論だが・・・ ☆☆☆
閉塞経済―金融資本主義のゆくえ (ちくま新書 (729))
閉塞経済―金融資本主義のゆくえ (ちくま新書 (729))
金子 勝

金子勝の「閉塞経済」を読んだ。

まず、これまでの経済学では説明のつかないバブルの時代に入ったことが、金融の自由化と過剰流動性によるものだと説明しています。市場で余ったお金が、金利の自由化や様々な金融商品のために、どこかに集中してしまい、バブルができあがると言います。バブルの波が次々にやってきて、それをうまく乗りこなしていたのがグリーンスパンだったという言い方もしています。

日本のバブル崩壊については、
<<銀行を大蔵省(現財務省)が保護・引率する「護送船団方式」は競争を阻害してよくないので、アメリカ型の直接金融へシフトし、証券化を進めなければいけないとされていました。そこで、不良債権を帳簿から切り離す直接償却をすべきということになり、生き残れる企業も生き残れなくなって、売り飛ばされたり、切り売りされたりするようになりました。>>p.74

<<公的資金の強制注入をして、早い段階で貸倒引当金をバックにして迅速に企業再生に取り組み、政府はできるだけ納税者負担を避けることを優先して株を売却すればいい。これが一番正しい解決法だったと思います。>>p.75

としていて、これは竹中さんが実施したことに相反するはわけですが、市場原理を働かせないとこれまでと同じ状態のままになり、そのまま日本の銀行が世界のどん尻になっていた可能性もあるように思いました。


金子さんは、小泉政権が行い、安倍首相が頓挫した規制緩和、構造改革、小さな政府づくりに対して、批判的であり、まったく逆の考え方をもっています。
民間にできることは民間に任せればいいと小泉首相は言いましたが、民間に投げてしまって市場原理に任せると、国家戦略的な将来への投資ができないというところがあり、金子さんは環境政策(ソーラーエネルギーの開発がドイツの会社に抜かれた)などでその例を挙げています。
デファクトスタンダードを握るには、民間に任せるのではなく、国が率先して動かなければいけないとしています。
<<経済の複雑な要因を知り、国家戦略を立てる思考が、「構造改革論」「規制緩和論」ではほとんど失われてしまいます。「国がやればみんな失敗する」「民間がやれば常にモデルは均衡に達して最も効率的になる」というロジックで、現実離れした議論がそのまま適用されてしまうからです。>>p.130

また、規制緩和で市場原理に任せたために、格差社会を招き、福祉や医療における弱者切捨て的な流れについて言及しています。

金子さんの論は立派なのですが、一方で金子さんの言うとおり、規制強化して、グローバル戦略をとらず、大きな政府にした場合、ほんとうにうまくいくものでしょうか。
世界は好き嫌いに関係せず、グローバリゼーションの波に洗われて、アメリカ型に変わってしまっていて、そこに抵抗しているより、むしろその波に乗って、波を作り出していくほうが、国家戦略としてはうまくいくのではないでしょうか。
確かに保守的になれば、社会主義的な国となって、国民は平等になるのでしょうが、既得権益がのさばって無駄が大きくなり、競争力を失ってしまうようにも思いました。
また、日本の中で成長力がない以上、海外の投資を呼びこんだり、海外で投資したりといった必要性が出てくるのですが、自由化を行わないとそうしたメリットが享受できません。

国家戦略的な環境政策は無論必要なわけですが、それは規制を強化する方向ではなく、規制を緩和することで生まれるようにも思います。
ただ、アメリカも規制緩和でエンロンのような実体のない企業がのさばったというのも事実なので、そのあたりへの工夫は必要なのだろうと思います。

大きな政府の北欧型を目指すか、小さな政府のイギリス型を目指すかは、考え方にもよるわけですが、逆ピラミッド型の人口構造で支えられる側の人ばかりが多い日本では、大きな政府を目指して保障ばかりを大きくするのは危険のように思います。
生産性の高い企業や人は国外に流れ出してしまうのではないでしょうか。
また、英国病が発生したのは国が手厚く国民を保護したからではないでしょうか。英国が立ち直れたのは小さな政府を目指して市場原理を導入したからではなかったでしょうか。

金子さんの考え方は弱者に優しく素晴らしいのですが、試すには今の日本の状況ではリスクが高いのではないかと僕は思います。
小さな政府+NPOが今後の解ではないのかなと個人的に考えています。


ちなみに、環境エネルギーこそが今後の国家戦略になると書いてあるところは、「偽善エコロジー」の武田さんにぜひ読んで欲しいところです。
| 読書(経済学)| 13:33 | comments(0) | trackbacks(0) |

b08043「アメリカの経済政策」 アメリカと世界は相互依存で成り立っている ☆☆
アメリカの経済政策―強さは持続できるのか (中公新書 1932)
アメリカの経済政策―強さは持続できるのか (中公新書 1932)
中尾 武彦

サブプライムの問題が起きるまで10年間高い経済成長で突き進んできたアメリカの経済、金融について、克明に分析した本。
中公新書らしく、緻密に論理だって構成されている。

ITの技術革新を背景に労働生産性が高まり、それとともにグローバリゼーショによって新興国からのお金がアメリカにつぎ込まれることで、強いアメリカを作り出してきた。
その一方で、貯蓄率が大きく下がってしまい、産油国や新興国の貯蓄過剰の資金を当てにしないと回らなくなってしまっているのも現実だ。そのため、懐にお金をもっていないアメリカに資金が過剰に入っていくという状況を修正して、新興国の設備投資にお金をまわし、新興国に購買力のあるミドル層を育てることが世界経済を成長させていくことにつながるという。

b08037「サブプライム後に何が起きているのか」では、世界の盟主がアメリカから中国(あるいは中東)に切り替わっていくことを予言していたが、この本では総合的に分析していった上で、アメリカはこの先も世界経済のメインプレイヤーであり続けるだろうとしている。もはや世界とアメリカは切り離せない関係になっており、またアメリカも世界の関係なくして存在できなくなっている。そうした力と力の均衡の上に世界が成り立っていて、その重力が中国などの新興国や産油国にかかりだしていっても、その力を利用することによって世界は高みに昇っていくことができるわけだ。
アメリカの問題ももはやアメリカ一国の問題ではなく、また同様に世界の力の均衡を考えれば、日本経済が力を発揮することがよい影響を世界に吹き込むことにつながるわけだ。 
| 読書(経済学)| 00:36 | comments(0) | trackbacks(1) |

b08037「サブプライム後に何が起きているのか」 アメリカ帝国の次に力を握る国とは? ☆☆☆
サブプライム後に何が起きているのか (宝島社新書 270) (宝島社新書 270)
サブプライム後に何が起きているのか (宝島社新書 270) (宝島社新書 270)
春山昇華


サブプライム問題がなぜ起こり、今後どうなっていくのかが、わかりやすく説明されています。
筆者は、不完全、不十分、不正確という評価を金融のプロから受けることも敢えて甘受して、この本をわかりやすく書いたとしていますが、どこが不完全なのかわからないくらい、大変わかりやすい本です。
アメリカのサブプライムローンが織り成すビジネスモデルの破綻により、信用収縮で紙くずになった不良証券をためこむアメリカの大手金融機関を手助けすることで台頭してきたイスラム金融やアジア(特に中国)は筆者の言うとおり今後の世界のキャスティングボートを握っていくのでしょう。
アメリカは日本がかつて味わったような失った10年になるのかもしれません。ただ、時価会計ということで一挙に損失を計上していることからうまく乗り切るのかもしれませんが、それでも受けた傷は大きいようです。
また、トリプルAを乱発した格付会社や信用を軽々と打ってしまったモノラインの保険会社に対しても世間の目は厳しくなるのかもしれません。

世界の覇権が、ローマ帝国→イギリス→アメリカと移ってきて、今後さらにそれが中国かイスラムに移るだろうという読みはスケールが大きいです。(ほんとうにどうなるのだろう?)
そうした中で日本にも、知恵とお金を上手に結合させて世界に投資を行なえば、今後の伸びしろがあるとしている。そのためには、社会を引っ張るリスクテイク族が増えることが必要だとしている。
| 読書(経済学)| 23:27 | comments(0) | trackbacks(0) |

b08033「官製不況」 規制によって不況を生み出す愚かさ ☆☆☆
官製不況 なぜ「日本売り」が進むのか
官製不況 なぜ「日本売り」が進むのか
門倉貴史

経営学の中で外部環境の影響度を検討する際に使うフレームワークとしてPEST分析があるのだが、ここで扱っている官製不況とはまさにP(politics & low)に当たるところの話である。
法制度の規制や規制緩和は、実際のビジネスに大きな影響を与えている。この本では、最近の日本における数々の「規制」が実際のビジネスや経済への動きをあまり考えずに行なわれていることを言及している。

記憶に新しい「改正建築基準法」施行により住宅市場が低迷したり、「改正化資金業法」や「日本版SOX法」、携帯市場への規制など、日本が官の力で起こしている法規制が不況を起こしているということだ。構造改革を進めるといって既得権益を排除しようと口では言いながら、最近は逆流しているとも考えることができる。無論、法規制自体は重要なのだが、その匙加減というものにもっと注意を払う必要があるということなのだろう。

また、官製不況と関連するテーマとして「ワーキングプアの問題」、「年金財政」、「サブプライム問題」を取り上げていて、一読の価値のある内容だった。(門倉さんは物事を咀嚼して整理するのがとても上手い。)

ワーキングプアの問題では、グローバリゼーションによって途上国で生産された安価な商品が入ってきて賃金抑制の方向に向かっていることと、IT化によって非熟練労働者が余剰となっていることが挙げられている。一方で最新のITを使える高度な技術・開発力を持つ人のニーズは強まって、そういう人への賃金上昇となるので、格差はこの先拡大することは間違いないだろうということになる。

この問題を解決するヒントとして、イギリスの例が挙げられている。
サッチャー→メージャーと続いた構造改革路線を継承したブレア政権では、所得格差の問題にも踏み込んだそうだ。99年に最低賃金制度を導入し、個々の労働者のスキルアップを実現するために教育改革や職業訓練制度の導入も行なっている。これによって、若年層の職業能力が高まり、雇用のミスマッチが解消したのだという。また、近年ではベーシック・インカム(基本賃金を保証すること)やベーシック・キャピタル(基本資産を保証して、各自のライフスタイルに配慮する形で、一回に給金を行なうこと)といった考え方も出てきているそうだ。
| 読書(経済学)| 07:02 | comments(0) | trackbacks(0) |

「フラット化する世界」(下) グローバリゼーションはインターネットの大波に飲まれた
「フラット化する世界」(下)を読んでいて思ったことのメモ。

グローバリゼーションはアメリカナイゼーションと同じことであり、それはアメリカにおいて優れた産業の構造を世界に広めることでアメリカが富と権力を強めるための波なのだとずっと思っていた。
アメリカが優れているものとは、軍事産業であり、金融工学であり、バイオテクノロジーであり、遺伝子工学であり、コンピューター産業である。あるいはそれに関係して、そうした優れたものを産み出す会社、マイクロソフト、IBM、マクドナルド、CNN、ハリウッド、ヘッジファンドに金融コンサルタント・・・、そうしたものを世界に蔓延させることがグローバリゼーションだと思っていた。
だから、反グローバリゼーションは反アメリカ的な利益追求でははかれないものを守るためのものだったはずだ。フランスでマクドナルドを襲って、農業を守ったりするのはそういう意味だったはずだ。その土地、その土地がもっているものを保持し、その中で豊かさをつくりだすという考えが内包されていたと思う。
いつしか反グローバリゼーションは、911などの影響もあって、イスラム主義や資源(特に石油)ナショナリズム(ナイジェリアやベネズエラやイランや・・・)とくっついた反アメリカ勢になっていってしまったと思う。
反グローバリゼーションは気づいてみれば、アメリカ的ではない豊かさを産み出すためのものではなくなって、一部の輩が利益を守るための道具になってしまったように思う。だから、資源ナショナリズムではその国民たちに豊かさを分け与えることができない。社会主義的で、硬直していて、賄賂政治がまかりとおる世界がそこに淀んでいるイメージがある。
そして、気づけば、あれほど忌み嫌おうとしていたグローバリゼーションの波は、それよりも大きなインターネットの波に飲み込まれて、その意味していたものが変わりつつあるようだ。インターネットはアメリカが握っていたコンピュータ産業を、リナックスのようにオープンソースのもの(全員のもの)に変えようとし始めているし、誰もが情報発信をして物を売り買いすることができるようになってしまった。大きなものだけが独占していたものは、すべて小さな個人でもそこに割り込める仕組みになってしまった。一部の人が操作しようとしていたものは、コミュニケーションツール(ブログにSNSに・・・)で誰もが相互に交信できるものになった。
インターネットは富をフラットに世界中に供給して、グローバリゼーションを変容させ、貧しいものが豊かになれる波になり、個人が企業を打ち負かすツールになった。つまり、風通しがよくなった。
そして、今明らかに、世界の風の流れ方が変わってしまった。グローバリゼーションに乗ったところ(インド、中国・・・)はあっという間に富が集積しようとしている。
それは日本国内にも言えて、風通しのよいところ(中部など)は発展し、従来の公共事業頼み・官公庁頼み・政治家と官僚と労組頼みの風通しの悪いところ(北海道など)は低落しようとしている。
なんとまぁ、不思議な世の中になったものだ。
この世界のルールはひとつだ。風が吹くのを嫌ってはいけない、むしろ風が自分の内部を通り抜けるようにしなければいけない。

そういうことを読んでいて、つくづく思った。

フラット化する世界(下)
フラット化する世界(下)
トーマス・フリードマン, 伏見 威蕃
| 読書(経済学)| 23:59 | comments(0) | trackbacks(0) |

「フラット化する世界」(上) インドでもアメリカでも同じ仕事ができるという意味
トーマス・フリードマンの「フラット化する世界」(上)を読む。

インターネットが世界中を席巻し、もはや情報格差というものが世界中なくなってしまった。
日本でもアメリカでも、インドでも中国でもアフリカでも、インターネットを通じて、僕らは同じ情報をインプット(ダウンロード)し、アウトプット(アップロード)できる時代になってしまった。
そのために、グローバリゼーションの中でも差のあった国家間の情報格差はとうとうなくなってしまった。世界はいつの間にかフラットになってしまったのだった。
IT教育熱の盛んなインドが英語力と低廉な人件費をバックに、とうとうアメリカのアウトソーシングの基地のようになってしまった。
既に僕らにもうすうす気づいているそうした世界のフラット化が、何が原因で起こり、どのように進もうとしているのか、といったことをこの本は取り上げている。現代と未来に対して嗅覚が非常に優れている本だと言える。

僕らがオフィスや工場で誰もができる仕事を担っているのならば、この時代にはいつオートメーション化されてコンピュータが行うかもしれないし、はたまたインド人や中国人に取って替わられるかもしれない。インターネットによってそうした状況がスピードアップしている。危機意識をもっていなければ、時代の波にあっという間に足をすくわれ、そして二度と浮かびあがれないだろう。

下巻ではそうした新しいグローバリゼーションの波の中で生き残っていく術を考えていこうとする。おそらく、誰かが代わることのできない仕事を次々とこなしていくべきだという結論に落ち着くような気がする。ニッチを探し出すか、あるいはアウトソーシングを含めて完全にすべてを統括できるか、あるいは地域に根ざしてしまうか、コンピュータやインド人に負けないコミュニケーション技術を習得するかということになるのだろう。
世界は確実にフラット化しているのだから、おそらく危機意識がなければ、僕らの仕事はあっという間になくなってしまう。何の進歩もなければ、僕らはインド人にすらなれないということなのかもしれない。

おそらく日本も最近はSE不足と言われているけれど、グローバリゼーションの波の中で生きていこうとしている企業であれば、迷わずインドにアウトソーシングしていくのではないか。
そうして、アウトソーシング先が経済力をつけて、人口にも物を言わせて、中国やインドやはたまた第三国の企業が力をもちだしたとき、世界はどうなってしまうのだろうか。
そういうことを深く考えずにはいられない。
民間企業に続き、地方公共団体だって市場化テストでいよいよ業務のアウトソーシング化、オートメーション化が進むのだろう。そのアウトソーシング先が国外になっていったとしても何ら不思議ではないのだ。
経理計算やプログラミングといった誰がやっても同じ結果の出るものは特にそうしたことになっていくのだろう。

僕が5年前にウズベキスタンに旅行したとき、当地の郵便料金の安さに驚いたことがあった。日本の国内郵便よりも、ウズベキスタンから日本への郵便のほうが安く、ここにダイレクトメールの会社を置くことができるのではないかとも思ったものだ。
おそらくはそういうことだ。世界はいつの間にかフラットになっている。すべてがインターネットを介して、スピードアップしている。コストが低廉であれば、すべての水はその低いところを目指して流れ出す。

インド人がスピードアップして走り出しているのならば、僕らもまたスピードアップして先を走らなければならない。
インド人が考えもつかない道を独自に開拓して、あらゆるニッチを埋めていかなければならない。
僕はそう思った。

この本で面白かったのは筆者のアメリカ人が日本にやってきて驚いていること。ワイヤレス通信と携帯電話からのネットアクセス。これに関してはどうやらアメリカの数年先を行っているようだ。
そうした技術に関しては、僕らはさらに引き離していかなければならない。アウトコースからインド人や中国人やはたまた僕らの知らぬ第三国のランナーの足音が聞こえてくる前に。


フラット化する世界(上)
フラット化する世界(上)
トーマス・フリードマン, 伏見 威蕃
| 読書(経済学)| 20:38 | comments(2) | trackbacks(8) |
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